hitomi's poetry
想い出綴り−50 引っ越し
cici

 私達はあの時、深い悲しみに暮れていた。
 あれは10年前の8月、私と妻は薄暗いマンションの一室で、数日前に25歳で若死にした娘を偲びながら荷造り
をしていた。
 「ジーンズショップが出来るなあ」「帽子屋さんが出来るで」
 年輩の者には理解できないぐらいの100着以上のジーンズに50個ほどの帽子。
 「こんなんを聞いてたんや」「映画は独りで観てたんかなあ」
 一般に知れ渡った日本の音楽と共に私にはチンプンカンプンなトランス、レゲエ、テクノなど数百枚のCDに、邦
画・洋画やお笑い系のビデオテープとDVDが多数。
 「ここでDJもしてたんや」
 特別に設えたユニークなラックには80枚ぐらいのLPレコードと2台のアナログターンテーブルがあった。
 この部屋での独り暮らしを想像しながら娘の思い出が詰まった品を一つ一つ噛みしめて、引越し屋さんが用意
してくれていた段ボール箱に詰め込んでいたが、親にとってこれ以上の哀しみは無く、夫婦して時々手を止めて
はこみあげてくる涙をぬぐった。人一倍暑がりの私だが、この時ばかりは真夏にもかかわらずクーラーをつけてい
なかったが何故か暑さを感じなかった。
 引っ越しの日、家具などの大きな荷物は自宅に置く場所が無いので、持って帰る物と引っ越し屋さんに処分を
してもらう物を泣く泣く仕分けをしたが、内心は娘の思い出を全部自宅に持って帰りたかった。
 因みに大阪市内にあったそのマンションへは娘の入居時に一度だけしか行ってなかった。しかし、引き払うと
決まってからは不動産屋との契約解除の手続きや、部屋の片づけと引っ越しの準備に5、6回通ったが、それも
その日が最後で、もう2度と訪れることが無いと思うと部屋の鍵を掛けた時には万感胸に迫った。
 引っ越しと言えば、私は生を受けて66年の間に5回転居した。
 1度目は二十歳の時で、生まれ育った大阪から堺へ身の回り品だけを持って兄の店で住み込み、2度目は彼
女が出来て店の近くのマンションに居を移し、3度目は結婚を機に文化住宅に転居、4度目は娘が生まれたの
で一戸建て住宅を買い、5度目は31歳の時で、転職の為に店舗付き住宅を買った時に引っ越した。
 それまでは引っ越しをするたびに家族も荷物も増えて希望に満ちあふれていたが、10年前の8月は絶望の中、
荷主のいない寂しい引っ越しとなった。


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