私のオリンピック

 コロナ禍で開催が危ぶまれていた東京オリンピックだったが、不安や恐怖の中、アスリート達の全力を尽くして繰り広げられた17日間の熱戦が今月の8日に閉幕した。
 長い歴史の中で毎回様々なドラマを生み、感動を与え続けてきたオリンピック。その中で昭和39年、私が高一の時に開催された東京オリンピックは印象が深い。
 国立競技場に2位で入ってきた円谷幸吉選手の背後にイギリスのヒートリー選手が。その時の「ヒートリーが来た、日本の円谷危ない!」の熱のこもった実況放送は57年経った今でも耳に残っている。
 結局、円谷選手は3位になったが、日本の名誉をかけて走り競技場に日の丸を掲げたその健闘ぶりに日本中が沸いた。
 東京オリンピック2020では、日本は金メダルが世界3番目の27個、銀メダルが14個、銅メダルが17個の合わせて58個を獲得し、史上最多の好成績で歴史的な快挙を成し遂げた。
 今回はコロナ禍で反対する人も沢山いる。それぞれの立場もあり反論はしないが、オリンピックは多くの子供達や国民に夢と希望と勇気をもたらしたのも事実だ。
 私達夫婦は緊急事態宣言などで7か月以上も仕事が無く将来が不安の中、オリンピックで毎日のように感動をもらい、観戦で気を紛らわせるどころか、生きる元気をもらった。
 しかし、私にとって一番の思い出は2004年のアテネ・オリンピックだ。この年の8月1日の25歳の娘・瞳が早世(ソウセイ)。最愛の娘を喪(ウシナ)なくして私と妻は悲嘆にくれていた。
 絶望の淵をさまよさ迷っていた時に、人生を懸けて努力してきたアスリート達の頑張る姿に心を打たれ、慰められ、癒やされ、そして挫折から這い上がれる事を教わった。
 私にとってオリンピックは、様々なドラマを展開して色々と良い影響を与えてくれる特別なスポーツの祭典である。

※早世=早く世を去ること。早死に。若死に。
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