エッセイ:essay
(cici)
hitomiとの思い出話を送って下さい
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新一年生  09/4/1
暫らく続いた寒の戻りも和らいで、気分も薄着になった。
頭は年中薄着?「ほっといてんか!」
家の横の大きな桜の木が、今が盛りと咲き誇っている。
24年前の今頃も、一人娘の瞳の入学を祝福するように見事に咲いていた。
そう、あの時の瞳は初々しい小学一年生でピカピカに輝いていた。
紺色の制服に白いブラウス、赤いランドセル、持ち物すべてがピカピカだった。
名札、ゼッケン、白いハイソックス、上履き入れ、帽子などのネーム入れや、
ミシンを買って雑巾を縫ったり、家庭訪問に備えて新しい座布団を買い揃えた。
新入学の準備に余念が無かったあの頃、私達夫婦も気分は一年生だった。
娘の嬉しそうな面持ちと共に、少しの不安と緊張感がなんとなく伝わった。
新一年生保護者説明会、私達夫婦までが緊張したのを覚えている。

時々小学校の前を通ると、制服に身を包んだ小さな一年生達を見かける。
はしゃぎながらの集団下校、あどけない姿を見るたびに瞳の一年生の時を思い出す。
あの時、初々しくピカピカに輝いていた瞳が18年後の25歳に天国へ旅立った。
まさか私達より先に娘がこの世を去るとは、誰が想像できようか。
家の横の大きな桜の木が、それを知ってか知らずか見事に咲き誇っている。
私達夫婦は毎年、満開の桜の木を見ては「瞳の一年生」を思い出す。
これは娘の天国からのメッセージ?
マジック  08/12/15
私は2年前に読売TVの『なるトモ!』でスナック芸やマジックを披露した事がある。
その影響で当時は店でお客さんにリクエストされてマジックを時々演じていた。しかし時の経過
と共にリクエストもなくなり、マジックは私の意識から遠ざかっていた。
ところが昨日、本棚を片付けていたらマジックの本を見つけた。ページをめくっているうちに「そう
や、またやってみよう」と好奇心の扉が開いた。そしてマジックのビデオも探して見た。
プロの演じる華麗なマジックは素晴らしい。現実に出来ないと思うようなことでも鮮やかにやって
のけ、摩訶不思議な世界へと誘(イザナ)う。
「このテクニックで天国にいる瞳が現れたらエエのになあ」「この胸のつかえに魔法をかけて天国
の瞳に届けられたらエエのになあ」と、いつしか私は亡き娘を思い浮かべていた。
もしかしたら「私を忘れないでね」の呪文で、瞳のマジックにかかったのかな?
オレスカバンド 08/11/1
オレスカバンド・・・今は亡き娘の瞳と同じ中学校の出身と聞き興味を持った。そして最近、テレビ
のドキュメントで『オレスカバンド・全米46都市.2万7000km〜19歳の夏』を見た。
オレスカバンドはスカロックバンドとして2003年に結成。2006年にメジャーデビュー、2007年に全
米デビュー、初のアメリカ・ツアーも大成功を収めた。2008年にはハリウッド映画に主演するなど
大活躍をしている。
今回見たのは19歳の女の子6人のメンバーが、カリフォルニアから始まる2ヶ月間のアメリカ一周
『'08ワープド・ツアー』の記録。
このツアーは世界100組以上のバンドが参加、日本人は初めてでたったの一組だった。機材設営
から宣伝活動、CDの販売、リハーサル無しの一発勝負など過酷なイベントだ。
この間、バスで寝泊まりし、自炊しながらの移動。機材のトラブル、戸惑い、葛藤、苛立ち、ヤジ、
涙、笑い、自分探し、出会い、友情、感動など様々な出来事が凝縮した旅だった。
彼女達の大阪弁での会話や中学校が映し出された時は娘がオーバーラップし、私は終始目を
潤ませながら画面に見入った。
また見知らぬ外国での若さで体当たりする姿、魂のこもった演奏は私の心を揺さぶり、言葉が
通じなくても人々の心が繋がる音楽の素晴しさを思い知らされた。
そして最後に、音楽大好きの瞳もギターを習得したい言っていただけに、サポートしてやれなか
ったことが心に残った。
NHKのど自慢 08/10/15
『NHKのど自慢・堺大会』で平原綾香の“Jupiter”を唄ってチャンピオンになった頃は、店のお客
さんによくリクエストをされた。
心を込めて唄うと目を潤ませる人が何人かいた。娘の経緯を知ってこの曲を聞く人は尚更だ。
そういえば堺大会でアンコールで最後にもう一度唄った時は観客もスタッフもみんな涙ぐんでい
た。
世の中に上手に唄う人は沢山いるが歌で感動を与える人は少ない。
歌詞の内容とメロディー、唄う人の悲喜こもごものドラマがマッチし、それらを心をこめて表現した
時に、聞く人の心を動かす。歌はこれだと感じた。
3500人もの応募者、250人の予選出場者、20名の決勝出場者の説明会の時に仕事の都合で
出られずに諦めかけた事、本選で鐘5つが9人も出た激戦。
様々な厳しい条件を乗り越えてチャンピオンになれたのは、亡き娘の好きな曲を選んだのと、娘
が天国から応援してくれたからだと思う。
あれから2年8ヶ月、今はみんなに忘れられ、“Jupiter”をリクエストされることもなくなり、店では
殆んど唄うこともなくなった。 
でも、あの時以来、それまで関心がなかった若い人の曲にも目を向けるようになり、良さがわか
り、レパートリーが増えた。
私は『NHKのど自慢』をきっかけに、若い人のリクエストにも多少は応えられるようになり、音楽
の幅が広がり楽しみが増えたと娘に感謝している。
四天王寺 08/8/1
2002年の7月29日に母が、2年後の2004年の8月1日に娘の瞳が、また2年後の2006年の9月
6日に兄嫁が亡くなった。
見方によれば因縁めいたものがある。そしてこの法則からいくと2008年の10月が不安になって
きた。
そこで先日の日曜日に母の七回忌供養と瞳の供養のため、不吉な因縁を払拭するために、姉
や兄夫婦9人で四天王寺へお参りに行った。
西大門(極楽門)の転法輪(テンポウリン)を回し「あらゆる迷いの心が滅し、心身が清浄となりますよ
うに」と念じて合掌して門をくぐった。
鐘つき堂とも呼ばれる北鐘楼で経木(キョウギ)を買い、慎重な面持ちで瞳の戒名を書き、先祖と
一緒に回向(エコウ)してもらった。
そして亀井堂の水盤に経木を流してもらい、仏が極楽往生するように願った。
その後、少し他の場所を回ってから、JR天王寺駅横のファッションビル・MIOの11階の寿司割烹
へ行食事会をした。
久しぶりに兄弟が再会は懐かしさと楽しさが満ちたひと時だった。
こういう機会を与えてくれた先祖や瞳に感謝!
ブログ 08/7/15
私がブログを始めたのは、一昨年の初夏、娘の友達が家にお参りに来た時に私に“mixi”を紹介
してからだ。
それまでもブログには興味を持っていたが、きっかけがなく何もせずにいた。
“mixi”の存在は知らなかったのだが、やり始めると、色々なコメントが返ってきて面白くなりハマ
ってしまった。
ただmixiは会員制なので、マイミク(mixi仲間)が少ない私のブログには訪問者が少ない。
せっかく無い知恵を絞って書いたブログをもっと沢山の人に見て欲しいと思い“gooブログ”にも
アップした。こちらはアクセス状況を表示してくれるので訪問者数がわかり、またかなり多い。
今まで私の人生は平坦だと思っていたが、ブログを始めてからの2年間を読み返してみると色々
な出来事があった。泣いたり笑ったり冷や汗をかいたり…。平坦ではなかった。
今はマイミクも少し増え、知らない同士が性別や年齢差も関係なく意見を交わしている。色々な
人の考え方や心に触れる事が出来、ブログをしていて良かったと思っている。
これも亡き娘の瞳が導いてくれたお陰と感謝し、今朝も「ありがとう」と仏壇に手を合わせた。

一句:娘逝き代わりに友を引き合わせ
親友の結婚 08/7/1
瞳のとても仲が良かった女友達の結婚式をブログで知った。
そして“サイケデリック・ウエディング・パーティ”と銘打った2次会に目を奪われた。
愛知県豊田市の岐阜県境に近い山あいにある『めぐみの森キャンプ場』での2日間に亘る野外
パーティ。若い人のセンスなのか私達の感覚では到底思いつかない企画だ。
街の喧騒がまったく聞こえない大自然の中で、各方面から駆けつけたDJや、コンタクト・ジャグ
リング・パフォーマンス(水晶玉での曲芸)、ファイアー・パフォーマンス、ヨガ、ダンス、歌&楽器
などがあり個性的で奇抜なパーティだ。
結婚式の2次会というよりも一大イベントだ。気の合う仲間達との平和で笑顔が絶えない空間の
中、新郎新婦も最高に幸せな時間を過ごした事だろう。
ブログで2次会の写真や参加者のコメントを拝見すると、とても楽しかったのが伝わり素敵なパー
ティだったと感じた。
瞳はきっと天国から親友の結婚を祝福をしていただろう。もしかしたら親友の結婚パーティに、
そっと参加していたかもしれない。
「私もそのメンバーも、瞳からの暖かい祝福を感じ取り、思いを寄せながら語りました。近くにい
ましたよ」との新婦のブログのコメントにグッと胸が詰まった。



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