エッセイ:essay
(cici)
hitomiとの思い出話を送って下さい
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ときめき  14/10/15
 先日の日曜日午後、妻と堺市内にある大型ショッピングセンターのアリオ鳳に行った。
 妻は服を買うので別行動、私は本屋に行ったり生活雑貨の店・ロフトに行ったりして間を繋いだ。
 その後、センター内を歩いていると、こちらに近づいてくる25、6歳の若い二人連れの女の子が目に留まった。そ
して私の目の前を通過する時に女の子の一人に釘付けになった。
 「瞳にそっくりや。ホンマによう似てる!」
 一瞬、娘の瞳かなと思ったぐらいだが、そんな訳がない。66歳のオジンの心がときめいた。
 友達と一緒だが声をかけたい衝動に駆られたが、変なオヤジに思われるので躊躇した。少し後をついて行こう
と思ったが、年寄りのストーカーみたいでやめた。
 亡くなった25歳の時の瞳に似ているので、生きていたら36歳。目の前の女の子より10歳年上だが、私の中で瞳
は25歳のままなのでそっくりだ。
 女の子が人並みの中へ消えるまで、「また会えたらエエのになあ」と心をときめかせながら後ろ姿を目で追った。
敬老の日サービス  14/9/15
 昨日、1か月ぶりにジムに行くとカウンターの女性係員が「この用紙に名前を記入て下さい」と言った。理由を
聞くと『敬老の方の無料開放デー』で65歳以上は今日はタダになるとか。
 敬老のサービスを受けるのは初めてで、ラッキーと思いつつも、そんな年になったのかと少し複雑な気持ちに
なったので、帰宅した時に妻にその事を言った。

 妻「自分では若いつもりでも、もうアンタは老人の仲間やで」
 私「自分ではそんな感覚が無かっただけに、敬老と聞いて帰(ケイ)ロウかなと思たわ」
 妻「サービスで1日タダになっても、アンタはジムへは月に1回か2回しか行けへんねんから意味ないやん」
 私「せっかくのサービスやから無駄にせん様に、あと2回頑張って行くわ」
 妻「もうちょっと頑張って行かんな、それぐらいでは運動の効果は無いで」
 私「ちょっとでもジムに行ってると言うのんがエエねん」
 妻「変なの」
 私「どうせ俺は敬老だけに、毛色ウの変わったオヤジや」
 妻「ダジャレかいな」

 夜、高島屋の地下レストラン街へ行き和食の店で食事をしたら、注文をしていない白玉団子が出てきた。
 店員に聞くと、「今日は敬老の日の特別企画でサービスです」とか。いくら若い格好していても、誰の目にも
老人に映るのかと自覚させられた。
 もし瞳が生きていたら、孫の顔を見せてくれていたに違いない。そうであったならば私は素直に“敬老の日
サービス”を受け入れていただろう。
プノンペンそば  14/9/1
 自宅近くにグルメ雑誌に度々掲載されたり、有名人が度々訪れる超有名なプノンペンという店名のソバ(ラーメ
ン)屋がある。
 「当店は子供さんの食べるメニューはおいてません。小学校高学年より下のお子さん連れはご遠慮願います」
のポスターが入口に張っている様に辛いソバである。
 以前は妻と時々食べに行ってたが妻が身体を患ってから口が変わり、辛い味付けがダメになったので二人で
は行かなくなった。
 今日の昼は妻が知り合いの法事に行き私一人になったので、久しぶりにプノンペン・ソバを食べに行った。
 たっぷりのシャクシ菜、独得の匂いを感じさせないセロリ、味わい深い特製焼き豚、独自ブレンドの玉子麺、ニ
ンニクと鷹の爪が効いたトマト入り鶏ガラ醤油味のスープ。
 いつ食べてもうまい。この辛さが病みつきになる。辛さを中和させる為に昼からビールを飲む。仕事の疲れを
忘れさせて幸せを感じるひと時である。
 店内の壁に貼ってある店を紹介した雑誌の切り抜き記事を読みながら、そばを堪能していると玄関前に数人が
立ってポスターを読んでいる様子。
 歳の頃なら30代半ばの3人の娘さんがそれぞれ小さな子供を連れて来たが、応対した店員さんに断られ残念
そうに帰った。
 彼女達を見てふっと瞳が目に浮かび、「瞳が生きていたらあれぐらいの子供がいてたやろなあ、生前に瞳を連
れて来てたら喜んでいたやろなあ」と想い巡らせた。
 それを思うと食べていたソバがほろ苦くなり、グラスのビールと共に複雑な思いをグイッと飲み干した。
十年目  14/8/1
 「烏兎匆匆(ウトソウソウ)」月日が経つのは早いもので、娘の瞳が25歳で私達のもとを去ってこの8月1日で10年目
になった。
 25歳のままの瞳が私の心の奥に深く刻み込まれていて、時折り微笑んだり、また寂しそうな顔で私の目の前に
現れる。
 「去る者は日々に疎(ウト)し」という様に、亡くなった人は月日が経つにつれて徐々に忘れられていくものである。
 それでは可愛そうだと、瞳がみんなの記憶から消えない様にと、私は娘を題材にした詩やエッセイを書き続け
たが、今回で250作目になった。
 「十年一日」自宅横の川は瞳が亡くなって以来ずっと何事も無かったかの様にとうとうと流れているが、私は川
の流れに合わせていられない。
 なぜなら詩やエッセイをずっと書き続ける為には、紆余曲折に満ちた人生を歩んでバラエティに富んだ感性を
磨かなくてはならないからだ。
 「未来永劫(ミライエイゴウ)」私の命が続く限り、瞳が生きていた25年分の記憶の糸をたぐり、ずっとずっと思い出を
紡いでいきたい。
 それが亡き瞳への供養になるから…。
 ※烏兎匆匆=月日の過ぎるのが早いさま。「烏」は日の事で「兎」は月。「匆匆」は慌ただしいさま。
 ※未来永劫=これから未来にわたる、果てしなく長い年月。
導かれるままに 14/6/15
 思い返せば、それは10年前の事。それまでは仕事人間だった私の人生観が変わったのは、瞳が私達夫婦の
許を去ってからだった。
 「働いて家族を守るのが父親の役目、子供の育児や教育は母親の役目」
 以前はそれが正しいものだと自分を型にハメていた。読書嫌いながらも本棚にはノウハウ物の本、ビジネス書、
自己啓発の本だけが多数並んでいた。
 特に自営業がバブル崩壊の煽りを受けてからは寝る間も惜しんで仕事一筋だったので、子供とのふれあう時
間がより一層なくなった。
 教育には口出しする事はなく全ては妻任せで、瞳が中学校に入ってからの反抗期は、あったかどうか知る事
もなく通過した。
 とにかく、その時期は仕事を頑張るのが家族の為だと、わき目も振れずに馬車馬のように走り続けた。
 それが、10年前の6月27日に、肺気腫と不眠症と仕事の悩みで精神的に疲れていた瞳が眠剤を飲み過ぎて
意識不明になり救急車で病院へ運ばれた。
 瞳が入院中の約1ヶ月間は仕事もそこそこに、毎日、ベッドの脇に座り瞳の手を握り締めては回復を祈った。
 一時は少し回復し50音の文字盤でコミュニケーションを図ったものの上手くいかず、一度も意思の疎通が出来
る事なく8月1日に肺不全でこの世を去った。
 その日からは仕事も手に付かず、今まで家族を顧みずに頑張ってきた事が良かったのかどうか自問自答を繰
り返した。
 失意の中で大いに悩んだ結果、これからは瞳への供養の為の何かをしようと、今更手遅れではあるが仕事人
間を脱却する事にした。
 そして、瞳と友達を繋ぐ為のホームページを開設して、瞳に関わるエッセイや詩を書き続ける事が父親としての
務めだと自分に課した。
 それ以来、10年間に私の事が3誌の本に掲載されたり、NHKのど自慢で優勝、スナック芸やリレーで10本以上
テレビに出演して、エッセイや詩の題材を得ている。
 以前はテレビ出演や本に掲載される様な事はなかった。きっと天国の瞳が導いて私の背中を押してくれている
に違いない。
 私は瞳に導かれるままに、これからも生きていくだろう。
保育園  14/4/1
 この4月に知り合いの次女が保育園に入園するが、上の子を園に預ける時に泣いて手こずったので、また泣く
のではと心配しているとか。
 そう言えば瞳も保育園に通い始めた頃は、保育士さんに預けて帰る時にはいつも泣いていた。
 保育士さんに抱かれる瞳の泣き叫ぶ声を背にしながら、身を切る思いで何度も職場に戻った光景を思い出すと、
仕事の為とはいえ今でも胸が痛む。
 当時、私は妻と市場内で喫茶食堂を営んでいたので瞳が1歳になる前から預けたが、妻は免許証を持っていな
いので園への送り迎えは私の役目だった。
 1年半後に店舗付き住宅を買ってスナックも兼業する事になり、新居に近い保育園に転入して、今度は手を繋い
で歩いて通園した。
 いいに保育士さんに恵まれて可愛がってもらっていたので、楽しい園生活の話をしたり歌を唄いながら通園した。
 その時の繋いだモミジの様な手の柔らかな感触が、ふとした時に私の手に愛おしく甦る。
買い物ゲーム  14/2/15
 いつも昼は御飯を食べながら、妻の日課になっている某テレビ局の情報バラエティ番組を一緒に見る。
 その中に「コーデバトル」「三色ショッピング」などのファッションアイテムの買い物ゲームがあり、ファッションに
興味のある妻はそれにハマっている。
 私はどちらでもいいのだが、妻はどんな形や色が流行っていて何をおさえておけばいいのか?など、お洒落な
タレントや女優やモデルの選ぶコーデや、ファッション・エキスパートのアドバイスなどが参考になるからと楽しみ
にしている。
 ただこのコーナーを見る様になってから影響を受けたのか、妻は服やファッションアイテムを買う回数が増えた。
まあ、パチンコはしないし旅行に行くわけでもないし、他に贅沢をする事は無いのでストレス解消には仕方がない
と諦めている。
 さすがに妻はミニスカートを穿かないが、それにしても還暦を過ぎたオバちゃんが娘と同じような年頃の芸能人
の服装を参考にしているファッションに、多少違和感を覚える。
 これが瞳だったら、あのタレントさんの様にトレンドのマストアイテムが似合うのになあと、バッチリきめている
亡き瞳の姿を脳裏に描きながらテレビを見る。



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