ユーモアセンス入門@
その1〜その5

(★印はシャレやちょっとした笑い話です。本文を読むのが面倒な人は★印だけで楽しんで下さい。)
その1 (5月25日wrote)
はじめに】人間関係において、ユーモアは一つの潤滑油です。しかし、ジョークは人を笑わせる目的で
創作される為、軽く見られがちです。特に日本では、まじめなもの、荘重なものが尊ばれ、人を楽しませ、
笑いを含むものは、ジョークに限らず軽視する傾向が強い。そこには、笑いという形で知性を刺激するアイ
デアが最も理解しやすい形で結晶しています。
先入観について】日常の経験や慣習から余り考える事無く、当然の事と思ってしまう事はよくあります。
例えば「ゴルフのスコアが72」といえば「1ラウンド」での話と思うでしょう。でも、「1ホール」の話かもしれま
せん。又、パズルには先入観をうまく利用し「だます」ものが多い事は経験するところです。この様に先入
観は考える範囲を狭める役割を果たします。ここで先入観に関するジョークを一つ。
★ある外科医に隣町から治療を受けにきた男に、その外科医が「隣町に有名な外科医がいるのに、どうし
てワザワザここまで来たのですか?」 男が答えた。「私がその医者なんだ」…
★「清水次郎長とジェンナーの共通点は何か」 「どちらも銅像が建っている」これは、人間としての共通点
を考えるという事が先入観となっていては決して答えが出てこないでしょう。一つの事を考える時に先入観
を排除し、あるいは先入観を意識して疑ってみるという事は思考を柔軟にする一つの方法だと思います。
又、この種の先入観をあぶり出す事がジョークになるでしょう。あるいは「これは意地の悪い見方だ!」とい
う事も言えるかもしれません。でも、この様な会話が出た時に、「おお、ジョークだ!」と思える人が無用な
摩擦を避け、会話を楽しむ事が出来す。
★桜モチを食べながら、主婦がしみじみと「父の仏前にはいつもこれをお供えするのヨ」。別の主婦が「ま
あ、お父様、好きだったの」と聞くと、「ううん、私が…」
★「家は遠いの?」「はい、駅から15分くらいかナ」 「そんなに遠くないじゃん」 「いや車でとばしてだよ」
その2 (6月26日wrote)
だまされやすさの研究】あなたはどういう時にだまされますか?こう質問すると大抵「私はだまされは
しない」という答えが返ってくるものです。では、「間違いをした事はありませんか?」…間違いは誰でもあ
るでしょうね。そんんさ話です。 ジョークの1例を・・・
★「ゴムまりの中に入っているのは?」…「空気」。「じゃ、浮き輪の中に入っているのは?」…「やはり空
気だろう」…「泳げない人」・・・・・・・もう1つ
★若い女性が二人の子供を連れてバスに乗った。「子供の料金はいくら?」…「一人のお子さんは長いズ
ボンをはいているから一人前頂きます。もう一人は半ズボンをはいているから半額です。それから、奥さん
はいりません」・・・誰ですか?ニヤッとされた方は!では、なぜ若い女性は無料なのか?この女性は定
期券を持っていたからですよ。
この様に、分かった事を単純に結び付けたり、常識と組み合わせたりすると間違いに陥ります。又、話の
流れに単純に流されてしまうと判断を間違ってしまいますね。あなたは大丈夫でしたか?ではもう一つ。
★「200円を持って80円のノートを買った。おつりはいくら?」…「120円」本当ですか?私は算数の計算
をして下さい、とは言っていませんよ!あなたは80円の買い物をして200円を支払いますか?100円を
払うのが当然でしょう。ここでは「200円」というのは、余分な情報でしょう。余分な情報は排除しないと正
確な判断は難しい、という事になるのではないでしょうか?この様にちょっとした話の中にもジョークの種
はあるものです。話を聞きながら、又、話題に対するコメントを考えながら、思考の枠を少し広げてみませ
んか?ユーモア溢れる会話が出来るかもしれません。
隠す文化】「小倉百人一首」は皆さんご存知でしょう。この中に小野小町が入っている事も先刻ご承知
の事と思います。では、小野小町の「顔」を見た人はいますか?恐らくいないでしょうね。絶世の美女とい
われた彼女の「顔」が何故か描かれていないのです。後ろ姿だけで…。これは一つの手法でしょうね。
「顔」を描かない事で、美しさは想像の中に広がっていくでしょう。多分、どんなに美しく描かれた顔も、顔
を描かない美しさにはかなわないという事ではないでしょうか。会話についても同じ事が言えます。
又、ジョークを一つ。
★父(中学生の息子に)「お前の成績はクラスで何番だ?」 息子「どうしてそんな事を聞くの?」 父「お前
のクラスの人数を知りたいんだ」・・・・・ここには何が隠されているのでしょうか?そうです。「お前の成績
はビリだろう」という事ですな。でも、これをそのまま言ったのではジョークにもなりませんね。聞き手もう
かうかできませんよ!聞き手の推理力と一緒になってはじめてジョークになるのです。「隠す」事の効用の
他にも、『説得には全てを言ってしまわず、相手に思い付かせるのが有効』などがあります。
その3 (7月26日wrote)
似る事の力】…「似ている」という事は何故か興味をひきませんか?あなたにそっくりの人がいる、と言
われると、何となく会ってみたい気持ちになるでしょう。文章でも似ている事は興味の対象になります。
★『朝だ。雨が降ってる。朝だ。雨だ』…アサダ飴だ。とある宣伝文句ですが、これは音(おん)の一致で意味
の違う二つの言葉を結び付けたシャレですね。病院に4号室が無い事はご存知でしょうか。「四」は「死」に
結びつくからです。同様に一つの言葉が二つ以上の意味を含む事がジョークになる事が多い。
★「富士山に登ったか?」「いいやまだ」(いい山だ)と(いいや未だ)の二つの受け取り方がありますね。
以前によく使われた言葉にこんなものがありましたね。「話がピーマン(中身がカラッポ)」「話がマカロニ
(筒抜け)」「話が環状線(同じ所をグルグル回っている)」などです。ご存知でしたか?落語などでお馴染
みの「なぞかけ」も類似点をうまく指摘したものでしょう。会話にすればこんな具合になるのでしょうか?
★母「あんたの通知簿はかけっこしてるの?」子「どうして?」母「だって、1、2、1、2…ばかりじゃない」
同じ形式のものに「警句」がありますね。
★「女は君の影に似ている。追いかければ逃げ出す。逃げればついてくる。」(シャン・フォール)
★「自由は山巓(さんでん)の空気に似ている。どちらも弱いものには耐える事は出来ない。」(芥川龍之介)
この様に「似ている」という事は容易にシャレになりますね。普段の会話の中にもよく出てくるダジャレも立
派なシャレです。でも、あまり頻繁(ひんぱん)にダジャレを使うとヒンシュクをかう事になりますから、その辺り
はうまくタイミングを見計らって適当に使いこなして下さい。
その4 (8月26日wrote)
シャレのひろがり】…前回の「似ている事」について少し考えをすすめてみます。
以前、東京の営団地下鉄にマリリン・モンローが傘を持ったポスターがあちこちに貼られていました。
題して「帰らざる傘」。彼女の主演映画『帰らざる河』と、電車内での忘れ傘が多いのを掛け合わせた
パロディです。『痛勤電車』『疲労宴』、これらもパロディの一種でしょう。
「たとえ話」。これも「似ている事」の一つです。たとえ話は論理的には正確とは言えない事が多いが、
なんとなく分かった様な気にさせる事ができますね。同時に人は理路整然と説かれるよりも、身近に
感じられる例で不正確に語れる方を好む、と言われています。つまり、感情に訴える方がやり易いと
いう事でしょう。
織田正吉著書『ジョークとトリック』では「たとえ話の名手」として、イエス・キリストを挙げています。
聖書を読んだ事のある人はよくご存知でしょう。多くの比喩、たとえ話がでてきますね。「豚に真珠」「新
しい酒は新しい皮袋に」などは一般に使われている比喩ですが、これらもイエスが使ったものです。
たとえ話の例を一つ…。
★子供が一人いる夫婦が離婚する事になり、それぞれ子供は自分のものだと主張して言い争いに
なった。「自動販売機でお金を入れたらジュースの缶が出てくるだろう」「ええ」「そのジュース缶は誰
のものだ」 「もちろん、お金を入れた人のものよ」「だったら、子供は夫のものだ」
これで納得がいきますか?ならばあなたの感情は正常です。
最後にもう一つ。「語呂合わせ」です。英語の単語の記憶法として
皆さんもお使いになった事があると思います。「Dictionary」は「字
を引く書なり」という様なものです。この様に見てきますと、「似てい
る」と言う事は様々な意味がり、それぞれ笑いを誘う要素を持って
いますね。ですが、一つだけ注意する必要がある様です。
『シャレは似ているという事を武器にして理性を叩き伏せる。そうい
うマイナスの力にも気を配りながら、生活の中でのシャレを楽しむ
事にしたい』と前出の著者に書かれていた。
その5 (9月26日wrote)
逆に見る】…「逆」と言っても色々に解釈できます。まず、文章なり言葉を反対から読む事から。
「回文」はご存知でしょう。『磨かぬ鏡』(みがかぬかがみ)『西か東に』(にしかひがしに)など逆に読んでも同
じ言葉ですね。では、こういうのを知っていますか?
「私好き」逆に読むと?「キスしたわ」…。では次に「モノを逆から見る}事を考えてみましょう。
「夏至」とはどういう日ですか?馬鹿にするな!1年中で1番日が長い日ですね。エッ、違う?では何ですか?
一番夜が短い日。ハハハ!それも正解です。逆から見るとそう言えますね。サスガ!!
織田正吉著書『ジョークとトリック』からの抜粋です。
★ある男が長い間、刑務所に入れられていた。友人が理由を聞くと、「道に落ちていた縄を1本拾った為だ」
「縄1本拾っただけで刑務所に入れられただって?」 「その縄の先に牛が1頭ついていたんだ」
★「幅30cm、長さ2mの板がある?」 「無いね、幅が2m、長さ30cmの板ならあるけど」
★「遊ぶ時、狭いと思う運動場、掃除の時は広すぎるなり」(土屋春一)
という様に「逆から見る」と言う事はユーモアになると同時に、モノのあるいは内容の本質を見抜く上でも意味
がありそうですね。そんな例を本書から…
有吉佐和子の『恍惚の人』。それまでは「長寿は幸福」と誰もが疑わなかった考え方を打ち砕き、長寿には老
人ボケという難問が待ち構えており、必ずしも幸せとは言えない事を描いて、既成概念を見事にひっくり返した
作品ですね。
もう一つ。『徒然草』の「友とするに悪き者」の7つの条件を考えてみましょう。7つとは、高くやんごとなき人、
若き人、病なく身強き人、酒を好む人、武く勇ある兵、虚言する人、良く深き人でしたね。多くの方にとっては、
「病なく身強き人」は願望であろうと思います。そんな、理想的と思われる人を、吉田兼好はマイナスの評価を
しています。ご存知の様に、彼はその理由を一切述べていませんから、何をもってそう考えたかはわかりませ
んが、「逆の味方」の必要性w伺わせるものとは思いませんか?ただ、逆からばかり見ていて、まともな見方
が出来なくならない様に。
その6(10月26日wrote)
★【この章の終わりに】…これまでみてきた様に、「笑い」は観念を固定させるワク、あるいは固定観念その
ものを壊す事によって起こります。そして、ユーモア感覚とは自由な発想を生む精神そのものであって、この
精神から溢れたものがユーモアとして表現されるという事なのでしょう。
我々は価値を判断する場合、善悪の二分法による事が多いですね。例えば、本とテレビを比較して本は、テ
レビは悪いといいますね。でも、本にも善と悪があり、テレビの番組でも同様の事がいえます。つまり価値は
四つの領域を持つ事になります。
ユーモア感覚とは物事を常に四分法で眺め、プラスの中のマイナスを、また、マイナスの中のプラスを直感し、
強調する事なのでしょう。ですから、二分法の概念とは相容れない面がある事はお分かりになるでしょう。
四分法の尺度は自由に伸縮し、目盛りは固定していません。観念の固定が対立や摩擦を生み、自由な発想
を妨げてきたきた事を考える時、四分法は自由への切符という事もできるでしょう。
以上、六回にわたって織田正吉著「ジョークとトリック」(講談社現代新書)を読みながら、その概要をお話して
きました。興味を持たれた方は原典に接していただきたいと思います。参考になりましたでしょうか?
最後に、ジョーク・ユーモアは四分法の考えからでてくるものであり、二分法とは相容れない面がありますね。
ですから、ジョーク・ユーモアは受け取る人によって大きくその意味を変える、つまり誤解の元になり得るもの、
との意識を常に持っていなければならないのかもしれません。
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