1分間スピーチの話しのタネ
○鉄は熱いうちに打たなければならない!

★ライフワーク…一生涯成長し続ける為に何をすべきか
 「これから私は一体何をやればいいのでしょうか」といった相談をもちかけられる事があります。働くだけ働いて定年を迎え退職したものの、やる事がなくて毎日ブラブラしているというのです。何がやりたいのかと尋ねても、首を傾げるばかりで、いっこうにラチがあきません。完全に自分の生きる目的を見失ってしまっているのです。
 日常、与えられた仕事をいわれたままにしているだけで、生きる目的の確立を怠ると、こういう事になりかねません。目的を与えてくれていた会社から離れてしまうと、何をしていいか分からなくなってしまうのです。
 しかし、高齢化社会では、定年は第二の人生の出発点です。その時になって、何をやればいいか分からないのでは困ります。会社にいる間に、自分の生きる目的を見い出す努力をして、自分のライフワークを確立すべきです。そうすれば一生成長をし続けられるのです。

★素直さ、謙虚さを失っては本当の学問は出来ない
 勉強を重ねていくにしたがって人は変わっていくものです。変わり方はだいたい二つのタイプに分かれます。一つは、勉強するにつれてますます謙虚になっていくタイプで、もう一つは、勉強した事を自分の武器として使うようになるタイプです。
 元来、学問は人としての成長を目的として自分を磨くために行うべきものです。人間としてあるべき姿に自分を近づけていく事が学問の本質ではないでしょうか。
 会議を開くと、自分の主張を通すため、あらゆる知識を駆使して、他の意見を排除しようとする人がいますが、これは見苦しい光景です。自己主張も結構ですが、他の声に耳を傾ける謙虚さは必要です。
 勉強は知識の習慣にとどまらず、より高い人格を養う事を目標として理宇野だと認識すれば謙虚さを失う事なく、一段高い人格の形成につながるものなのです。

★アッと言わせるヒラメキや創造力は天才ではなく、努力の人から生まれる
 想像力は、人間だけに与えられた力です。人はこの力を使って色々なものを創り上げてきました。これから先もさらに色々なものを創り上げていくでしょう。それではこの想像力は、どうして生まれるのでしょうか。ある日突如として生まれてくるのでしょうか。
 確かに、ある時、急にひらめく事はあるでしょう。しかし、これも研究を重ねた末に発生するのであって、何の努力もしない人には起こり得ません。つまり、想像力は、研究努力を重ねる事でのみ、得られるわけです。仮に何らかのひらめきがあっても、知識の裏付けがなければ単なる空想で終わってしまいます。
 想像力を養いたいと思うなら、研究を重ねる事です。研究に全力を尽くして取り組んで知識を吸収し、研究を重ねていくうちに、想像力が養われ、ひらめきも生まれます。

★チリを積もらせて山とする努力と忍耐力
 人は生まれた時は言葉を話せません。ところが、時が経つにつれ、言葉を話すようになります。これはある日突然、言葉が口から出てくるのではなく、一つ一つの学習努力の積み重ねによるものなのです。生まれつき雄弁な人というのは、決していません。
 この様に、今ある能力は、決して生まれつきのものではなく、何らかの努力によって身についたものです。将来に向けても同様の事がいえるのです。今ある能力が自己のすべてではありません。能力は無限に広がるのです。しかし、ある日突然、こういった能力が広がりをみせるわけではありません。何らかの努力の積み重ね無しには能力の広がりは起こりま得せん。
 能力不足を感じている人も悲観する事はありません。自らの可能性を信じ、日々、小さな努力を怠らず続けていけば、それは計り知れない効果を約束してくれるのです。

★「経験」は知恵を生む糧、可能性を伸ばす栄養源
 人は日常生活で色々な事を経験します。しかし、残念な事に数多くの経験は、意識されず過ぎてしまうようです。経験の中には他から学び得ない貴重な教えが隠れています。この教えを掴み取れるかどうかはひとえにその人の意識にかかっているのです。
 何の目的意識もなく、ただ漫然とその日の仕事をやっていると、手馴れてはくるでしょうが、他の仕事に応用する力はついてきません。仕事をやるという事は、仕事をよりよくやろうと、あれこれ工夫していく事ではないでしょうか。
 今、自分がやっている仕事は、より大きな機会への挑戦を含んでいるのです。誰よりも早く一人前になり、さらに有能な先輩の仕事を受け継ぎ、大きく発展させていく事が、本当の喜びです。この喜びが仕事を面白くさせ、あなたを仕事の鬼にしていくのです。経験は可能性を大きく伸ばしてくれます。

★「成功の秘訣」−あなたは“ビジネス”の師を持っているか
 最近は、人材育成を目的とした研修会が盛んに催されています。公開セミナーにも沢山の人が足を運んでいます。この傾向は素晴らしい事ですが、この様な機会はそうたびたびありませんし、機会があっても、足を運べる余裕はないでしょう。
 それはどうすればいいのでしょう。いい方法があります。それは、成績のトップの人を自分のビジネスの師と決めて、その人に従うのです。彼には、それだけの裏付けが必ずあります。自分と同じ様な事しかやっていないと思っても、必ず何か違う事をしているのです。その違いが小さい様に見えて、実は大きいのです。
 先入観は捨て、白紙の状態に自分を置いて、素直な気持ちで、自分が先生と決めた人と積極的に接して多くの事を学び取るのです。どんな小さな事でも見逃したりしないよう心がけ、勉強させてもらえば、得るものは大きいはずです。

★「生きている事」、すべてが修行なのだ 
 机に向かったり書物を書いたりする事のみが勉強ではありません。机に向かわずとも、また書物を広げずとも、勉強する機会は沢山あるのです。場所や形にばかり捉われていると、この様な貴重な機会をみすみす失うことになってしまいます。
「生きている事、すべてが修行なのです」と言う修行僧がいますが、同様の事がビジネスマンにもいえます。ビジネスマンが最も勉強できる場は、ビジネスの現場です。大学の講義でもいかなる書物を開いても知りえない様な事がそこにはあるのです。
 ビジネスという学校は、学ぶ気のある人にだけ、注意して見る目を持っている人にだけ、数々の貴重な現実を教えてくれるのです。学ぶ気持ちと注意して見る目を持って臨めば、ビジネスという学校から一つでも多くの事を学べるに違いありません。

★「わかっているつもり」ほど危険なものはない
 「わかってます」と相手の話をさえぎるように、途中でストップさせて最後まで人の話を聞こうとしない人がいます。いちいちそんな事を言われなくたってわかっているよ、というような口ぶりです。これでは、教える方も気持ちが萎えてしまいます。
 わかっているつもりでも、人に聞いてみると、うっかり見落としていたり忘れかけていたりする事実に気づく事もあります。人の話を途中でやめさせてしまうのは、このような機会を自らの手でつぶしてしまう事になるのです。
 せっかく、人が何かを教えようとしてくれているのですから、途中でさえぎらないで、最後までジッと話に耳を傾けるべきです。自分の理解は、まだまだ不足しているのだからと自らに言い聞かせて、他人の教えに謙虚に耳を傾けなければ、新たな理解を得る機会を逃す事はないのです。

★“何でも見てやろう”…一を聞いて十を知る努力をしているか
 人にモノを教える時、一日でマスターする人もいれば、一年経ってもマスターできない人もいます。同じように教えてもこれほど結果に違いが生じてくるのです。確かに、能力差はあるでしょう。しかし、どうもそれだけではないようです。
 教えられる側の姿勢にも問題があるのではないでしょうか。学ぼうという気持ちで臨むのとしょうがないなという気持ちで臨むのとでは、大きな違いが生じるのは当たり前です。どんなに熱心に教えたところで、当人にその気がなければ、猫に小判です。逆に学ぼうという気持ちがあれば、一つ教えられるだけで二つ三つと理解出来たりするものです。何をやるにしても、それに挑む姿勢が大切です。
 決して後ろ向きにならず、常に前向きの姿勢で挑んでいくという気持ちをいかなる時も忘れずに、積極的に挑み続ける決意を持てば、一を聞いて十を知る事が出来るのです。

★自分の無知を自覚するところから進歩は始まる
 
「こんな事も知らないのか」と他人から言われて、しょげ返っている人を目にする事があります。よほどショックなのか、見ていても気の毒なくらいです。
 しかし、初めは誰も知らないのです。知らなかった事を恥じる事はありません。知る努力をすればそれでいいのです。強がって、知ったかぶりなどすると、せっかくの機会を失ってしまう事になります。
 他人から何と言われようとも、落ち込んだりしないで、自ら積極的にわからない事はわからないとハッキリ言って教えてもらう事です。もし、教えてもらえないのなら、自分で調べてその知識を身につけてしまうのです。自分には、まだまだ知らない事が沢山あるのだと認識して、その事を恥じずに自ら積極的に新たな知識を求めていきましょう。知らないままで済ます事、これこそが本当に恥なのです。

★心で字を書けば気持ちも伝わり上達も早い

 「もっと文字がうまく書けたらいいのになあ」と日頃感じている人のいる事でしょう。書類や便箋を目の前にして、憂うつになったり気後れしたりしている人もいます。字が下手だからと、出来るだけ文字を書く事を避けようとする向きもあります。しかし、文字は書かなければ、決してうまくはなりません。
 文字に限らず何でもそうですが、うまくなる為にはうまくなろうと思って練習しなければなりません。文字を書く場合には、技術面ももちろん大切ですが、それ以上に大切なのが心です。書いたものは誰かが目を通すはずです。書類でも手紙でも、読む人の立場に立って書く様に心がけるべきなのです。
 誤字脱字はないように心掛けて、読む人の事を思って一字一句正確に書いていくのです。そうすれば、必ず相手に気持ちが伝わり、文字も文章も上達するに違いありません。
★「新たな発見」「新たな考え」は必ず記録せよ!
 人間は物を忘れる動物です。いかに記憶力に優れた人といえども、その記憶力に全面的に頼れるほどの力はありません。従って人は、文字を書く事によって記憶力の衰えをカバーしているわけです。
 人は、新たな発見に遭遇したり、新たな考えが頭に浮かんだりする事があります。この時、自分の記憶力にばかり頼ってしまうと、いざという時に役に立ちません。ところが、文字に書いて残しておくと、それを見る事によって、その時の記憶が鮮明によみがえってくるのです。昔のアルバムを開いてみると、忘れかけていたその時の情景が急に浮かんでくる事があるのと同じ事なのです。
ですから、何か新たな発見に気付いたり、新たな考えが浮かんだら、どんなつまらない事でもペンをとって記録しておきましょう。それが自分の成長の確認にもなるのです。

★「知識」をよく噛み砕き、自分を活かす「知恵」に変えよ!
 書物を読むという事は、知識の吸収のみを目的とするものではありません。もちろん、知識を吸収する事も大切ですが、それだけでは不十分です。知識を増やす事のほかにもう一つ重要な事、それは、得た知識を活かすという事です。
 人は本を読むごとに、人として成長する可能性が開けます。ところが、このせっかくの機会を見送ってしまう人がいます。知識を得る事だけで満足してしまって、次の段階に踏み出そうとはしないのです。せっかく得た知識もこれでは何の役にも立ちません。
 次の段階に一歩踏み出して、得た知識を取り入れて、自分の日常の行動に活用にていくべきです。知識を記憶するのではなく、知識を自分でよく噛み砕いて、自分に活かすよう心掛けて知識に生命を吹き入れるのです。それでこそ知識が知恵となり、日々新たなより大きい自分へと脱皮できるのです。

★生きるための“知恵の結晶”と対話しているか
 人は時代を超えて過去の優れた人々と直接会う事はできません。しかし、書物を通じてなら、そうした人々と会話を交わす事ができます。彼らの人生から学ぶべきものは、少なくありません。難局に直面した時、どう考え、どう行動してその局面を乗り切ったかなどは、時代と環境がいかに変わろうとも、必ず相通ずるものがあります。
 推理小説などを読むのも大いに結構ですが、過去の人々と会話を交わしてみる事も必要です。彼らの声に耳を傾けてみるのです。
 一冊の本との出会いによって、人は自分を変えていく事ができます。悩みを抱えて悪戦苦闘している時、一冊の本が生きる勇気や希望を与えてくれます。人生の大先輩である彼らの声に真剣に耳を傾けてみましょう。そして、その中から何か一つでも多くの事を学びとり、自分の血肉とすれば、生きる勇気と活力が湧いてくるはずです。

★本は「目」だけで読まず「心」でも読め
 
次から次へというように、猛烈なスピードで本を読む人がいます。この本を読み始めたのかと思っていると、何日もたたないうちにもう次の別の本を開いています。何か特別な読書法でもあるのかと尋ねてみると、そうでもないようです。
「本なんて途中まで読めば、大体の事は分かってしまうものさ。それでその本はもう用無しさ。最後までは付き合っていられやしないよ」
 つまり、一冊の本を読み終わらないうちに勝手に結論づけ、次の本を読み始める、この繰り返しなのです。果たしてこれでよいのでしょうか。
 これでは、目を通したというだけで本を呼んだ事にはなりません。本を読むという事は、じっくり最後まで読み、その本を通じて著者の考えに触れ、吸収すべきところは吸収するという過程を経なければならないのです。

★時間と頭は使いよう―通勤電車も「書斎」になる

 「この人はいつ勉強しているのだろう。勉強するヒマなんかあるとは思えないけど…」
 多忙な毎日を送っているはずの人でも、勉強する人はちゃんと勉強しているものです。彼らは決して時間が無いとは言いません。彼らは自ら時間を作っているのです。 「早い時間のほうが電車もすいているから」と言って、毎朝始発電車で出社する人がいます。当然いつも一番乗りです。皆が集ってくるまで、机に向かって本を熱心に読んでいます。朝はオフィスも静かだから、読書や考え事に最適だと言います。満員電車での通勤を思えば、精神的にも肉体的にもこの方がずっと利口でしょう。
 しかし、それが分かっていても、実行している人は決して多くはありません。感心ばかりしていないで実行してみましょう。自分の習慣にしてしまえば、それほど難しい事ではありません。実行する事によって得られる利益は決して小さくないはずです。

★向上心を燃やせ!勝負はまだまだこれからだ
 能力は、一朝一夕に成るものではありません。長い年月の努力の積み重ねによって、高められていくのです。ですから、今、他人の能力との差を痛感して焦ってみても、仕方がないのです。
 今、自分の能力を一つ一つ数えて、その不足を嘆いてみても始まりません。問題は、自分の能力を高めていくために、今そしてこれから先、どれだけ努力するのかという事です。能力の向上を目指して今、何をやるかという事です。
 人は向上心を燃やして努力し続ける限り、能力を高める事は可能です。能力を高めていく上で、最も大きな障害となるのは、自分の心なのです。向上心が失われれば、能力はそれ以上伸びません。焦ったり悲観したりせずに、向上心を燃やし続けて能力を高めていく為の努力を積み重ねていく事です。勝負はまだまだこれからです。

★好奇心は“発展途上人”の行動原則だ
 皆さんは、今、何に興味関心がありますか。人は生まれた時は誰でも好奇心旺盛で、見るもの聞くものすべてが新しく感じられ、吸収も早いわけです。ところが、年月を経ていくうちに、いつの間にか好奇心も減退してしまうようです。
 好奇心というものは、人が成長していく上で、とても重要な役割を果たしています。旺盛な好奇心を持っている人は、絶えず新たな発見の機会を見つけ、これを捉える事ができます。一方、さほど好奇心が旺盛でない人は、全く同じものを見ても、平気でその前を通り過ぎていってしまう事となってしまうのです。
 自分に関係がないといって、新たな発見の機会を自らの手でつぶしてしまわないで、旺盛な好奇心を持って何にでも興味を抱きましょう。自分を発展途上の人間であると認識すれば、まだまだ多くの事を吸収できるのです。

★“机に向かわなければ眠れない”習慣が成功を呼ぶ
 社会人として仕事をする傍かたわらで自分の勉強を続けていくのは、決して容易な事ではありません。勉強したい気持ちはあっても、仕事で疲れて机に向かう気になれないとか、どうもやる気が出てこないという人もいるでしょう。
 しかし、一日わずか1時間でも勉強するのとしないのとでは、1年を通してみると実に365時間という大差が生じるのです。これだけの大差を黙って見逃す手はありません。問題は勉強に対する意欲がどれだけあるかという事です。
 例えば、どうしても見たいテレビ番組があれば、少しぐらい疲れていても、見る為の努力に何の負担も感じないでしょう。勉強にしても同じ事です。意欲があれば、多少の疲労は問題になりません。1日1時間は机に向かわないと気持ちよく眠れない、という意識と習慣が身につけば、1年で驚くほど成長できるのです。

★学問は“強く生きぬく為の飯”である
 勉強は必要であると多くの人が思っています。現実に社会人となっても多くの人が勉強を重ねています。それでは何故、彼らは勉強をするのでしょうか。
 自分の知識を豊富にしたいからとか、仕事をする上で必要だからだとか、答えは人によって異なります。しかし、中にはこう云う人もいます。
 「俺が勉強するのは、他人から評価してもらう為だよ。評価されないと初めからわかっていたら、誰も勉強なんかバカバカしくてしやしないさ」
 第三者からの評価が期待できないからといって、人は勉強をやめてしまうでしょうか。決して、そうではないはずです。人はあくまでも自分の為に勉強するのです。他人の為の勉強は、真の勉強とは云えません。自分の為の勉強の必要性を感じて、勉強に取り組む姿勢を持ち続けてこそ、実を結ぶのです。

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