あいらぶ堺 サカイの風景-1a

南海本線堺駅周辺
@御台場・兵舎跡(大浜北公園)
 大砲18門、火薬庫、番所等要塞機能をもった場所。1854年(安政元年)ロシアのプーチャーチンが大阪湾に入港した際、堺の奉行所が沿岸防護の対策のため建設した。1945年(昭和20年)市小学校が全焼した時この地で学んだ。
A堅川水門
 1997年(平成9年)から堺旧港海岸整備工事の一環として堅川水門改良工事が始まり2000年(平成12年)に完成した。
B天満宮 お旅所跡
 幕末に新住吉として天神お旅所ができた。明治維新後、9月13・14・15日が例祭となって14日には神輿渡御があった。堅川水門より出た神輿船は灯台を左手に望んで湾口をひと巡りしてから、お旅所に上がった。
Cベイエリア(旧堺港周辺)
 1997年(平成9年)から堺旧港海岸整備工事の一環として堅川水門工事が始まり2000年(平成12年)に完成した。
D旧堺港
 1689年(江戸時代)に港が出来る。現在の港は吉川俵右衛門によって造りなおされた港の原型である。
E龍女神像
 以前、大浜海岸の水族館本館の前庭に鎮座していた。白亜の「乙姫さん」が2000年(平成12年)一段と高い台座(16m)に身の丈(10m)と大きくなりブロンズ製の美しい姿を復元された。
F呂宋助左衛門像
 戦国時代の貿易商人で安土桃山時代にルソンに渡海し、貿易商を営むことで巨万の富を得た堺の大富豪。特に豊臣秀吉の保護を得て日本屈指の豪商として活躍した。
G大浜灯台
 1877年(明治10年)〜1968年(昭和43年廃灯)。イギリスから機械を取り寄せ、イギリス人技師ビグルストーンが設計した。光遠距離24kmみどり色の光が港を照らしていた。建築費2500円は当時の町民がお金を出し合った。
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