| ★陰で支えてくれる妻に感謝 私にとって一番大切な記念日は結婚40周年を迎える来年の3月26日だ。 結婚以来、「夢とロマンに生きるんだ」と小説家を志し、仕事運にも恵まれず、様々な職業を転々とした。そんな私に、妻は愚痴一つこぼさず2人の幼い娘を立派に育ててくれた。 ある年の事。職場の上司といさかいを起こし、妻に相談しないで会社を辞めた。この時、家に帰った私を「必ず良い事があるから頑張りましょう!」と励ましてくれた妻。 それから一念発起した私は、妻子の為に全力で仕事に取り組んだ。あとに使命があったのか、思いがけず市会議員としても働かせていただいた。勇退は議員OBとして、お世話になった党員・支持者、市民の方々へのご恩返しの為、市の文化活動と地域友好に連日汗を流している。 これもひとえに、妻のお陰だと心から感謝している。 (大阪府枚方市 68歳 M・I) ★夫が50歳で晴れて正社員に 夫が現在の会社の正社員になった1993年3月16日は、我が家にとって忘れられない日です。 若い頃から妥協を許さない性格の夫は次々と仕事を変え、気がついたら十数社を転々としていましたが、家庭を持ってからは家族を守る使命感から、人の何倍もの努力を怠らない夫へと変わったのです。 しかし、今度は勤める会社が次々と倒産。夫は「若い頃から身勝手で仕事を変えてきた罰なのか」と落ち込みました。48歳にして就職活動の毎日。お昼、公園で食べるお弁当には激励の手紙を入れました。なけなしの500円玉を添えた事もあります。 8ヵ月後、人材派遣に会社に入社。そこで派遣されたのが現在の会社でした。1年後、正社員として採用され、50歳にして奇跡の就職を果たす事ができたのです。 2人の娘と家族4人で「万歳!」と叫んだ日。我が家にとって一番大切な記念日になっています。 (東京都渋谷区 主婦56歳 小室澄江) ★死を免れ生まれ変わった日 私は30代で小学3年生と1年生の娘を抱え、未亡人になりました。病弱な娘を抱えての生活は大変でしたが、私も必死に働きました。 そんな中で縁あって再婚し、2年後に妊娠。しかし、子宮外妊娠で、あっという間に出血が始まり、意識不明に陥ったのです。 救急車で産婦人科から外科の病院へ運ばれ、2000cc以上を輸血。ところが、血液が合わないのか顔は紫色にはれ上がり、大変な状況の中、子宮摘出手術を受け、見事に生き返りました。 退院後、産婦人科にお礼に伺うと、医師から「あなた、本当に運がいいね。ダメかと思ったよ」と言われました。 皆さんのお陰で生まれ変わった1978年12月29日は、私にとって忘れられないもう一つの誕生日なのです。 (東京都足立区 主婦64歳 松本美津) ★家族揃って出掛けた万博 今から35年前、大阪で万博が開催されました。当時、私は9歳。その頃、父は仕事が忙しく、体調を崩していた祖母は寝たり起きたりの日々でした。母は介護に追われる毎日で、家族旅行など夢のまた夢。たまに出掛けても、家族全員がそろう事はありませんでした。 そんな中、夏休み最後の日の1970年8月31日、生まれて始めて家族全員で出掛けたのが大阪万博だったのです。「♪こんにちは、こんにちは、世界の国から〜」と鳴り響く歌声、大勢の人、外国の方の姿、月の石、太陽の塔…。目に映るすべてのものが新鮮で、一日をワクワク気分で過ごしいました。 あの歌声や雰囲気、皆の笑顔は、35年経った今も心に深く刻み込まれており、私の大切な記念日となっています。 (川崎市宮前区 主婦44歳 竹内綾子) ★初めて人の親になれた時 1973年12月2日、初めて出産しました。先日、古い書類を整理していたら、その時の育児日誌が出てきました。 日々の体重・体温・哺乳量・尿便回数の記録と共に、こんな事が書いてありました。 「子供を育てるという事は、本当に大変。誰もがこうして、気の遠くなるような時を経て、子供を育て上げているのかしらと思うと、両親はじめ万物に、感謝の思いがふつふつと湧いてきます。(中略)泣いたりむずがると、こづきたくなるけど、とにかく可愛い。世界一可愛い子だと言い聞かせている。親ばか結構、大いに結構。そうでも思わないと、とても育てていけません」 新生児を扱うのは、24時間営業です。夜泣きで何度も起こされ、睡眠不足になりながら、こんな事を書いて発奮していたようです。しかし、人生で、これ程感動的な 事はありません。私の一番大切な記念日は、初めて人の親になれた時だったと思います。 (愛知県日進市 主婦56歳 柴田早苗) ★私達夫婦が巡り合った日 私たち児童劇団の一行はその日、信州の天竜峡の飯田線駅前でボンネット型ローカルバスに乗り、公演を予定していた小学校の前で降りた。 その時のバスの車掌さんは、まだお下げのうら若き乙女で、どことなく品のいい美しい人だった。私は当時、電車やバスの乗車賃を支払う係りだったのだが、この時、彼女はつり銭を私に渡すのをうっかり忘れてしまい、結局、下車する間際に手渡された。 運転席の上に掲示していた車掌さんの名札を見て、珍しい名字なのに興味を覚えた私は、なぜか「僕のお嫁さんは、この人しかない」と思い込み、バス会社宛に手紙を発送。彼女の話によれば、文面には“愛”とか“恋”といった言葉は見当たらず、延々と私の身の上話がつづられていたそうで、彼女も私に負けず劣らず長い返事を寄こしてくれた. あれから半世紀。私たち夫婦の出会いの日「5・14」は、かけがえのない記念日となっている。 (静岡県浜松市 82歳 宇野正明) |