| ★野に咲くコスモスが百万本 「松山−高知」間のバスが国道33号線を走っていた頃の事。出張の帰りに越知町の「コスモス」を見て、一句を手帳に記した。 「揺れて咲くコスモス 汚れなき色で」 あれから十数年経ち、定年後の事。ふと、あの時のコスモスに逢いたくなり、高知市から西へ50ccのバイクを走らせた。幾つかの町とトンネルをくぐり抜けて、暫らく走るとコスモスの里に出た。 「揺れて咲く 色とりどりの秋ざくら」 100万本の花々たちは、思い思いに一斉に華やいでいた。 「コスモスも人も遊んでいる野原」「親も子も笑顔輝き秋ざくら」 車イスを押しながら、ゆっくり歩く家族。振り返って何か話している老女がいた。 「車椅子押されて見ている秋ざくら」 あの日と同じように、コスモスたちは汚れなき色で一生懸命に天を仰いでいた。 「秋ざくら逢いに来ました逢いたくて」 (高知市 無職63歳 小野山征男) ★手をつないで一緒にゴール 最後の列の男子生徒たちが「バーン!」という音で走り出した。一人だけ遅れて、それでも一生懸命走っていた。走り終わったはずの長男が駆け寄り「一緒に走ろうね」とでも言ったのか、男の子はうなずき、2人は笑顔でゴール。 みんな惜しみない拍手を送った。長男の勇気と思いやりの気持ちに私は目頭が熱くなった。 昼の休憩時間。家族で巻き寿司を食べた。主人の母が「頑張ったね、偉かったね」と長男を褒めた。 「先生がね、僕に『A君と一緒に走ってあげてね』って言ったの。A君、体不自由なのに最後まで頑張って走ったんだよ。偉いのはA君だよ」と、長男が笑顔で言った。 正直に話す長男に、私は「二人とも頑張ったね」と言った。長男の小学校最後の運動会の忘れられない風景であった。 (宮城県大郷町 主婦67歳 赤間徳子) ★通信教育の卒業に挑戦した日々 15年前の夏のある日。私は両親とS大学の構内を歩いていた。結婚して2年目。独身の頃始めた通信教育のスクーリングを受講していた。 東京に住む妹宅から通学する挑戦の日々。年に1度、妹に会うため両親も一緒に上京していた。決意はしたものの遅々として進まぬ学習に、私は心中、悶々としていた。 しかし、坂道を歩きながら今年でメドを立てよう!必ず卒業しよう! とふつふつと決意がみなぎってきた。30歳になるこの年にできなくていつ出来るのか。大好きな大学の緑の並木道を歩く親子3人の人影。両親の無言の激励は私の背を力強く後押ししてくれた。 決意の瞬間の光景は今も美しく心に焼き付いている。 それから1年半後の3月。季節外れの雪舞う中での卒業式。その感銘の日もまた、忘れられない私の心の名画である。 (大阪府交野市 主婦 山崎美加) ★キンモクセイの香りと聖火 10月初旬、朝野新聞配達の時、ふーっとキンモクセイの香りがしてきた。1964(昭和39)年、中学1年生だった私は、その日の朝、先生から東京オリンピックの聖火が夕方、学校の前の道路を通過するので見に行くようにという、話を伺った。 長野県から山梨県へ引き継がれ、東京へ行くのだという。放課後、その時間に遅れまいと靴に履き替えるのももどかしく、急いで道路へ走り出た。 今か今かと待っていると、金色の夕日を浴びて聖火ランナーが走ってきた。あっという間に通り過ぎ、私たちは感激の拍手で見送った。その時、どこからともなく、キンモクセイのいい匂いが漂ってきた。何か外国にいるような気分だった。 もう40年以上も前の光景だが、キンモクセイの香りと共に、はっきりキラキラと思い出せる忘れられない風景である。 (東京都青梅市 主婦54歳 山口千栄子) ★私をかばい空襲で死んだ両親と姉 私にとって忘れられない風景とは、1945(昭和20)年3月5日の朝、目の前に並べられた両親と姉の遺体です。 その頃の東京は毎日、昼も夜もアメリカ軍による空襲にさらされていました。前日の3月4日も、朝から空襲警報。防空壕に避難していた両親と姉と私は突然、ものすごい衝撃と共に生き埋めとなりました。 「お父さん」「お母さん」「お姉さん」。呼びかけると返事が返ってきました。身動きできない崩れた防空壕の中で、どのくらい時間がたったのでしょうか?再び声を掛けて返事がなかったら…と思うと恐ろしくて私は沈黙を続けました。 やっと助け出された私は、ただ一人、父の友人の救護所で眠れぬ一夜を過ごし、翌朝、少し離れた家に連れて行かれました。そして目にしたものは、床に横たわる三つの遺体だったのです。涙も出ませんでした。13歳の私は、その時「人間は死ぬものだ」という事を胸に焼き付けたのです。 一番、幼かった私を、両親と姉がかばってくれたのでしょうか?今は、父や母や姉の分まで平和の為に生きようと思っています。 (東京都世田谷区 74歳 箱根芳子) ★初めて収穫したさつま芋の収穫 今の家に越して来た時、畑を借りる事ができた。「さつま芋がいいよ。葉っぱが茂って草取りがいらんよ」との周囲の声で私は早速、苗を買ってきて植えた。 お水はこれでいいかなと思える程度に注いだ。翌日からは雨が降らないので、苗が枯れないかと心配でたまらず、何度も苗の様子をのぞいた。 結局のところ、30本中20本の苗が元気に育ったのだが、隣の畑のご主人にこう言われた。「あのね、空の具合を見て、雨が降った後にすぐ植えるんだ。見ちゃおれん」と。作物には苗を植える時というのがあったのだ。 夏が過ぎ、5ヶ月後にはそれでも本当にたくさん収穫できた。夫は、近所の子供たちに「芋掘り」をさせてあげた。みんなのうれしそうな表情は忘れられない。つまずいて出発した農作業だったが、ゴールは素晴しいものだった。 (愛知県豊川市 主婦55歳 河辺正子) |