hitomi's poetry
想い出(つづ)り−12 Jupiter-1
cici
 昨年の残暑かすかな早秋の夜、私達は中百舌鳥にあるレストランに行った。
なかなか洒落ていて、店の片隅のピアノ演奏がやすらぎをかもし出す。
魅惑のムードの中、手作りの器で自家製のハムや店自慢のステーキに舌鼓(シタツヅミ)。
「もうすぐ瞳の誕生日やね、こんな所で一緒に食事をして祝ってあげたかったな」
と妻と話したり、また色々と瞳の生前を偲(シノ)んでしっとりと会話をした。
 ゆっくり時(トキ)を味わっている私たちの空間に“Jupiter”のメロディーが流れ出した。
美しいピアノの音色に私は手を止め耳を傾けた。瞳の好きだった曲で面影が浮かんできた。
しばらくの間、ファンタジックな調べに聴き入った。遠い空の彼方の星になった娘を心に描きながら…。
私の目には涙があふれ出て、テーブルのキャンドルライトがぼやけて見えてきた。
ちらっと前席を見やると妻の目にも感傷の涙で光っていた。

 以前は若い人たちの音楽は有線で流れていても、店でお客さんが唄っていても気にも止まらなかった。
しかし、今は違う。娘の気持ちに少しでも近づきたくて興味を示すようになった。
“Jupiter”は昨年の瞳の一周忌の時に娘の親友が唄ってくれ、そして娘の好きな曲だったと教えてくれた。
それ以来、この曲を耳にするとグッと胸がこみ上げてくるようになった。
カーステレオでこの曲が流れると車を脇に止め、目を瞑(ツム)り静かに聴き入る。瞼の奥で温もりを感じながら…。
 私は自分の店で、若い女性のお客さんが来るとカラオケでこの曲をリクエストしては目を潤ませている。
そしてまた、娘を亡くした深い心の傷を癒している。




























想い出(つづ)り−13 カラオケ
cici
瞳とカラオケ…
初めて一緒に行ったのはミナミのカラオケボックス。
当時、流行っていたので興味本位で妻と三人で入った。
君が小五の頃だった。まだ幼さが残るはにかみ屋さん。
私達の前ではほとんど唄わなかったのを覚えている。
中学の時、私が始めたカラオケボックスで何度か一人で唄ってた。
恥ずかしがると思い、私は気を利かしてルームに入らなかった。
高校になると友達と時々どこかの店へ唄いに行ったと聞いた。
友達と一緒ならカラオケで弾けるんだとなと思った。
年頃になると大阪で独り住まいをする様になった。
淋しくなったら、深夜に車を飛ばして帰ってきて、
閉店後の私の店で、時おり一人でカラオケの練習をしていた。
壁越しに聞いた瞳の唄、当初は上ずっていてイマイチだった。
しかし、何年か経過すると上手くなっていた。回数は力なり。
私には縁のない曲なので、どんな歌だったかは覚えていないが…。

時たま私の店に親子の客が来る。父娘のデュエットもある。
私は一度もなかったので、その様な光景を見るとうらやましく思う。
今に思えば何故か二人の間に垣根を作っていた様な気がする。
若い頃、私は堺やミナミのクラブでギターを弾いていた。
カラオケが無い時代で、何人ものお客さんの唄の伴奏をした。
それゆえに自己流ながら、多少なりとも唄うコツは知っていた。
だから私の知っている限りの知識を教えてあげればよかった。
経験を生かした人生の機微、歌の聞かせどころなどを伝授し、
カラオケ大会に出れる様に応援してあげたらよかった。
きっと、カラオケで楽しい思い出を作れたのに…。

※機微(キビ)=表面だけでは知ることのできない、微妙なおもむきや事情。



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