特別寄稿:special-contribution

NHKのど自慢T


 2月18日(土)。今日は“NHKのど自慢大会”の日。10時半に目が覚める。3時間少しの睡眠時間だが起きてカラオケの練習や歌詞を確認する。この段になっても歌詞を間違える。ミスを繰り返すのは明らかに練習不足。正直云って甘く見ていた面もある。また多趣味の中、優先的にカラオケの練習をしていなかった。それと音域の広い曲なので曲の練習よりも音域を広げる訓練に力を入れていた事もある。今更何を云っても仕方ない、持っているものを出し切ろう。ノド飴をポケットに入れ、娘の写真を胸に納め仏壇に手を合わせてから会場へ行く。行きすがら冷たい風を受け、自転車のペダルを踏みながら“Jupitaer”を口ずさんでいたら娘が目に浮かび、なぜか涙がこぼれてきた。
 ギリギリで駆けつけた会場では座る席をなんとか最後列で見つけ腰を下ろす。スタッフの説明の後、いよいよカラオケ大会の予選を開始。私は鼻が悪く寝る時は口呼吸。だから起きるとノドがカラカラ。その為、いつもマスクをして寝るのだが、昨夜に限って深酒のせいでマスクをするのを忘れた。ノドは最悪の状態。体調も睡眠不足で絶不調。ノド飴を何度も口に含みながら舞台の進行を見守る。
 舞台の右袖(ソデ)に30番単位で出場番号が表示されると、出場者はそこに集合して待機する。私は108番なので前半の最終組。司会者の宮本隆治アナウンサーが教えてくれた予選に選ばれるポイントは極端に上手いか、ヘタか、元気のある人だと云っていた。私は苦手な曲を選んだ上に暗い歌なので選ばれる可能性は低いと思った。お客さんに云わなければよかったと後悔する。
 舞台は老若男女のソロから双子、兄弟、姉妹、先生と生徒、同僚、上司と部下等バラエティーに富んだ出場者で盛り上がる。カラオケ大会も佳境に入り、舞台の横には90〜120の数字が表示された。私は引きつった気持ちを隠す様に平静を装い舞台の袖に行く。予選は曲名の50音別に出演するが、私の周りはサ行、自信が無いので出きれば“Jupitaer”を私の前で誰か歌ってくれないかなと思ったが、前は中年の男性二人、この人達では期待できない。後ろに若い女性がいた。きっとこの人が“Jupitaer”を唄うんだろうな、順番を代わって欲しいなと思った。案の定、私の後で2組の若い女性が“Jupitaer”を唄った。
 舞台に上がって出番を待つのだが、みんな得意な曲を唄い上手だ。私は苦手な曲、ましてや難しい曲、娘がもう少し簡単な曲を好きになっていたらこんなに苦しまないのに…、その上に寝不足ときている、等々色んな不安が脳裏をよぎる。いよいよ私の出番が近づいた。前の歌い手が唄い始めたらスタンバイの位置に立たなくてはいけないのに緊迫で忘れ、次の人に促(ウナガ)された。前の人が終わり私の出番、司会者の案内と同時に歩み寄りマイクを貰う。事前にスイッチが無いマイクだと聞いていたのについ探す。今は緊張の極点に達した。
 いよいよ歌に入る。“ジャーン”ドラマーがシンバルを鳴らした。えっ、前奏は?内心思いながらチラッと横を見る。え〜!このまま入るの〜!と思いながら唄い始めた。まだ伴奏が鳴らない。この曲はこんな曲なのか?私はイントロからずっと伴奏があった店のカラオケで練習していたので戸惑った。音合せも無くぶっつけ本番に不安と困惑を交錯させながら唄った。訳が分からないまま唄い終わると指示通りに舞台の左袖に行き、アナウンサーとスタッフの簡単なインタビューを受ける。応募した動機を聞かれた時に娘の事を話していると目に浮かび声が詰まった。
 すべて終わってから、舞台に上がる時に置いてきた荷物を取りに先程の待機場所迄行く時、知り合いが立って観覧していた。普段だったら声を掛けるが、私は自信が無く恥ずかしかったので見つからない様に顔をそらして通り越した。会場の外に出ると大きなモニターの前で記念写真がある。私の唄っている映像が出てきた。なんとまあ情けない顔だ。面映(オモハユ)い気持ちで写真を撮ってもらう。係員は2枚撮り、1枚はメッセージを書いて壁に貼ってくれと云った。私は少し気分が塞(フサ)ぎ気味だったので壁に貼らなかった。予選が終わる時間迄待ってられないので一旦家へ帰る。
 妻は「どうやった」と聞いたが、私は「アカンかったわ」と応える。「今日はあんまり寝てないんやろ、ちょっと上で寝ときぃや」、「あぁ、でも6時にもう1回、行かんなあかんねん」「6時から?あんた今日仕事やで、電話してもらいや。仕事にさしつかえるようやったらやめときや」「電話なんかしてくれへんわ、当選者発表時に不在やったら失格になるねん。とりあえずちょっと寝てから行くわ」と云って私は3階へ上がりベッドイン。しかしのど自慢大会の事が気になり横になるがなかなか眠れない。ただ目をつぶるだけだった。1時間半程してから起きて再び会場へ。当選の自信は無いが参考の為に見ておこう、と思いながら私は急いでペダルをこいだ。 会場には当選発表を聞く為に沢山の人達がざわめいていた。司会者が舞台に現れた。「本日は歌の上手な方が沢山いて審査が難航しています。もう暫らくお待ち下さい」。店があるのに早く済ませて欲しいな、と内心呟(ツブヤ)いた。暫らくしてからまた出てきた。「これから20組の予選通過者を発表します。名前を呼ばれたら舞台に上がって下さい。一つだけ云っておきたいのですが、本日9時迄付き合える方、そして明日の7時半に会場に来れる方のみ上がって下さい。お付き合いの出来ない方は舞台に上がらないで下さい」。“え〜っ、仕事があるのに、そんなん無理やわ。8時に来店の約束のお客さんがあるのに…”まあ、どうせ無理なんやから結果だけ聞いて帰ろう。
 司会者が当選者の番号を次々に読み上げる。94・・・104・・・106・・・、もう10組も名前を呼ばれた。250組中20組選出なので残りはあと半分。ああ、私は落選だろうな。ダメだと思いながらもかすかな期待も断ち切れない。胸はドキドキ、心臓に悪い。もう席を立って帰ろうか、いや、ここまで来たのだから聞こう。腰をずらし体を深く沈めて目をつぶる。私の番号は飛ばされるのでは…?「108番」“えぇーホント?よかった!”一瞬喜んだ。しかし9時まで付き合えない方はご遠慮を、との事。私は店の事もあるので迷った。でも折角(セッカク)のチャンス、舞台の袖まで行き「どうしても、8時迄に帰らんとあかんねんけど、どないかなりませんか?」スタッフに無理を云って音合せやインタビューを先に受ける様にしてもらった。
 控え室でアンケート用紙に記入。名前、住所、年齢、趣味、出場動機、選曲理由、どんな気持ちで歌いますか、最近の大きな出来事等の項目があった。“選曲理由”に「2年前に25歳で亡くなった娘の好きな曲だからです。本来なら得意な曲で入賞を目指したかったのですが、苦手なジャンルですがあえて娘の好きな曲を選びました。また得意な曲は磨きようが無いが、苦手な曲は努力のし甲斐があります。その課程がドラマチックであり重要です」と書いた。“どんな気持ちで歌いますか”には「お父さんは君の為に頑張っているよと、独り淋しく天国にいる娘に伝えたかったからです」と書いた。
 係員が明日の放送の説明をした後、私は優先的に音合せと司会者のインタビューを受ける。音合わせは出だし部分とリズムが合わない。初めて知ったのだが編曲の先生が云うには1番が3拍子、2番以降が4拍子、それもアウフタクト。先生もリズムと音程が難しいと云っていた。娘もえらい難しい曲を好きになったものだと思った。店が気になるので急いで音合せとインタビューを終えて帰宅した。
 店は早目に閉め、4時半に床に就くがなかなか眠れない。普段は6時半以降に寝る癖がついているので無理も無い。1時間以上、悶々(モンモン)とした中で目をつぶり入眠を待つ。明日は7時半起き、バッド・コンデションで望まなければならない。6時前迄は覚えていたがいつの間にか寝たようだ。
※面映い(おもはゆい)=顔をあわせることが恥ずかしい。きまりが悪い。てれくさい。

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