特別寄稿:special-contribution
政令指定都市移行記念「NHKのど自慢」
会場:「堺市民会館」 曲目:「Jupiter」 歌手:「平原綾香」

のど自慢U

 2月19日(日)。目覚ましの鳴る前、7時20分に起床。少し遅れて市民会館の控え室に着く。すでに説明会が始まっていた。生放送なのでミスの無い様に細々とした動作が要求される。そして本番会場で全員がカメラに映る様に座る位置、立つ位置を入念にチェック。次は入場行進の練習、明るく元気よく!
 そして歌のリハーサル、私の出番が来た。番号と曲名を云った後、シンセサイザーの“ズゥ〜ン”、間延びしていてこれまた入ることろが分からない。昨日の“ジャーン”とは違う!また脳ミソが混乱した。戸惑いながらも唄い始める。どうもこの曲は出だしが難しいと思いながら唄っていると21小節目の歌詞を忘れた。頭が真っ白になり歌詞が出てこない!う・う・う…。なんとか最後の歌詞だけ思い出し唄い終えたが、私は憔悴(ショウスイ)した。
 私は呑気(ノンキ)で一夜漬けタイプ、ギリギリにならないと動かない。学生の頃、いつも試験の時に難儀(ナンギ)していたのに、未(イマ)だに一夜漬けの悪い癖が治らない。もっと前から練習して歌詞を完璧に把握しておけばよかった。またキーも微妙に低いし、昨日、音合せをもっと入念にしておけばよかったと後悔しきりで、しばらく後の人の唄は耳に入らなかった。
 次はゲスト歌手のリハーサル。細川たかしさんは堂々としていて、ゆったりと唄っている。私などは歌唱に余裕が無いので思いっきり張り上げている。違いを見せつけられた感じがした。次に由紀さおりさん、テレビで見るよりも細くて美しい。さすがに芸能人、どちらもアカ抜けている。由紀さんはサラサラと透き通った声ながら、奥行きの深い歌唱で魅せられた。プロの歌を生で聞く事は滅多(メッタ)に無いのでかなり勉強になる。
 緊張でノドが渇くのでトイレで手洗いの水を少し口に含んで潤(ウルオ)した。控え室に戻り小休止、控え室の前に飲み物を用意していたのを今頃気づいた。弁当を食べた後、マイクを持つ左手の付け根部分にリハーサルで忘れた部分の歌詞を書いた。消えない様にマジックで。そして、部屋の外に出て唄い出だし部分を何度も練習した。
 12時、出場者が列を成して会場へ行く。それぞれ緊張をほぐすようにジョークを云ったり雑談をして入り口に到着。司会者・宮本隆治アナウンサーの「出場者の入場です!」の案内で会場の後ろドアから舞台へ観客の拍手と視線を浴びながら行進。暗い客席から約1400人の聴衆の視線が集まる明るい席に着く。そして一寸した紹介の後、リハーサル通りに二組に分かれて左右の舞台の袖へ行き待機し、本番の時間を待つ。緊張が徐々に高まる。
 オープニングの鐘の音と音楽と共に手拍子をして元気よく足踏みをして舞台中央に並ぶ。司会者がゲストと出場者の紹介をした後、それぞれの席に着く。堺市の紹介の後、いよいよ1番の組からスタート。
 双子の女子大生で明るく元気よくフリをツケながら唄った。次は高2の学生。ストリートライブをしているだけにハリのある声をしている。やはり鐘5つ。次は鉄道会社に勤める上司と部下。コミカルなフリと歌で場内を沸かす。こいうい人達も必要だ。4番目は由紀さんの“手紙”。無難(ブナン)に唄っていた。5番目は83歳のご老人、リハーサルでは何度もタイトルを間違えていたので皆で危惧(キグ)していたが、宮本アナの助けもありうまく云えた。私達は思わず拍手をした。次は学校の女性先生が二人でコブクロの“桜”を歌った。上手にハモっていた。やはり鐘5つ。次も同曲、インドネシアの家具職人が歌う。外国人は発声法が日本人と違うのか声量があった。カメラ目線で余裕を持って唄っていた。思っていた通り鐘5つ。次は4人姉妹と従姉妹の5人組、ヴォーカルの人は演歌向けの声で上手かった。鐘5つ。次は恩師と教え子、歌は一般並みだったが素敵な関係だ。10番目はお父さんと娘さんのデュエット、なかなか微笑(ホホエマ)ましい。私もこういう形で娘と出てみたかった。徐々に出番が近づいてきた。
 私の前迄で4人の合格者、リハーサルでは5人だった。私の後ろにも上手な沢山いるので、鐘が二つだったらどうしようと不安感が増してきた。少数ながらも知り合いに出演を教えなかったらよかったとか、キーを一つ上げてもらったらよかったとか、歌詞を忘れないかなとか、得意の曲を選べばよかった、すべったら別のカラオケ大会で得意の曲でチャレンジしよう、等様々な弱気の虫が脳裏(ノウリ)をよぎる。直前の方はお洒落(シャレ)で元気なお姉さん、フリもハマっていてよかった。まさかお孫さんがいるとは思わなかった。
 いよいよ私の出番。もう逃げられない。司会者の案内で指定の位置に立つ。「12番、Jupiter」間違えない様に云いえた。“ズゥ〜ン”、またシンセサイザーの音。よし、ここから唄おう。♪Everyday I listen to my heart ひとりじゃない〜♪「あぁ、やっぱり低い、伴奏も聞こえない、ええい、いってまえ」、私は開き直って気持ちを込めて唄った。本来、この曲は静寂の宇宙をイメージして静かに唄うべきだが(と私は思っている)、お腹の底から思いっきり唄った。瞳の顔を思い浮かべながら…。
 “カンカンカンカンカンカーン”えぇーっ、ホントー!自分の耳を疑った、でも本当だ。「おめでとうございます、2年前にお嬢さん、25歳で肺の病気で亡くなりました。一人娘だったんですねぇ、どんな気持ちでこの歌をお唄いになりましたか?」と司会者。「天国で独りでいる娘にお父さんは頑張ってるで、というところを見せたいと思って唄いました」。前列の数人の観客が目頭を拭いていた。それを見てから席に戻っても涙が出てきて、いくら拭(ヌグ)っても溢れてきた。私は胸に忍ばせている娘の写真を服の上から撫(ナ)でながら「ありがとう」と呟やいた。
 後ろの人の歌の傾聴(ケイチョウ)も空(ウツ)ろに茫然(ボウゼン)とした時が暫らく続いた。私の後は可愛い女子高生と70歳の理容師さんと続く。そして中華料理屋さんのママさんが粋な声をしていたが途中で詰まった。由紀さおりさんの曲で途中から出て来て応援をした。次の刃物屋さんが唄っている時に、私の隣に座っていた出番を待つ女性が「私も歌詞を忘れないかな」と不安がっていた。私も何とかいけたので「大丈夫ですよ」と励ました。しかし残念ながら“忘れへん”の曲を唄って途中で歌詞を忘れてしまった。とても上手な人なのに勿体ないと思った。次は軽音楽部の男子高校生、個性的な声で上手かった。次の女性も上手でやはり鐘5つ。最後は若い女性は自信を持って唄っていた。リズム、歌唱もバッチリ、トリを務めるだけあると感じた。鐘5つは全部で9個、レベルの高い歌合戦だった。
 全員が歌い終わり細川さんと由紀さんの歌が始まる。その間に審査をしている。全てのプログラムが終わり表彰式。まず特別賞は鉄道会社の上司と部課、二人はとても楽しい人達でぴったりの賞だ。いよいよチャンピオンの発表、今日は個性と歌唱力を持ち合わせた手ごわい方が沢山いたので私には縁がないと諦めていた。
 誰だろうなと耳を傾けていると「さあ、それでは今週のチャンオンは!12番、“Jupiter”をお唄いになった有村正さん!おめでとうございます〜」と司会者の声。えぇーっ、私ぃー?想定外の結果に驚嘆(キョウタン)した。司会者がマイクを向け感想を聞いた。「胸の中に娘の写真を入れています。娘と一緒に唄いました」。ズッシリと重たい楯(タテ)を腕に抱え、私は感激の涙を潤ませながら感慨にひたった。由紀さおりさんと細川たかしさんから祝福の言葉と握手を頂いた。そして脇役人生の私が初めて主役になった栄誉をじっくりを噛み締めた。
 生放送が終わってからアトラクションの中でチャンピオンとしてもう一度唄う事になった。応援をしてくれた人々や娘に感謝の気持ちを込めながらラストソングを歌い上げた。また司会者が「何か一言を」とマイクを向けた。私は「瞳〜!ありがとう!そのうちそっちに行くから待っててや〜!」。大勢の観客やスタッフまでも目頭を拭いていた。
 応募の時、選曲に迷ったが、“Jupiter”の歌詞の一部に「夢を失うよりも悲しいことは、自分を信じてあげられないこと」とある。迷いながらも、私は娘を信じて選曲をして良かったと思った。
 全てが終わり、控え室へ帰る途中、スタッフの一人が「本番になる程、上手く出来る様になりましたね」と云った。私は「ありがとう」と返事、そして心に余裕が出てきたのか「(本番で尻餅をついたフィギアの)高橋大輔に教えてあげたい」と云った。スタッフの方はシャレに気づいていないのかうっすら微笑みながらも「??」の感じだった。部屋に着いた時にある出場者が「上手に唄うよりも感情を入れる方が重要なのね」と云われた。どういう趣旨(シュシ)か分からないが聞き流した。
 一段落をついてから胸に入れていた娘の写真を取り出した。誰となく気がついて次々に見に来て褒(ホ)めてくれた。娘が生きている時に親バカ振りを一度も披露した事がなかったので、お世辞でも嬉しかった。後は記念写真を取ったり同窓会用の連絡先を書き合ったりしてから良きライバル達と別れた。帰り道、ペダルをこぐ足も軽やか。まだ冬なのに風が温かく感じられた。
 家に帰ると出場に半ば反対をしていた妻の祝福が待っていた。仏壇に手を合わせ娘に報告と応援の礼を云い優勝の楯を供えた。少ししてから義父が優勝のお祝いを持ってきてくれた。義母と二人で泣いたと云っていた。携帯を見ると8件の祝福メールが入っていた。電話も5件あった。東京や西宮や大阪の人等、知らせていなかった人もテレビを見たらしい。全国放送なのだと今頃気づいた。後日を含めると偶然テレビを見た方は40人以上で、祝福の言葉や電話やメールを頂いた。数日後にはアメリカのワシントン州に住んでいる姉からも電話があった。「おめでとう!こっちでも放送していたで。大阪府堺市からだったので観客席の中に正ちゃんがいてないかなと思って見ていたら、まさか舞台の上で歌うとは、その上にチャンピオンになってびっくりしたわ。こちらにいる知人も見ていて、私の弟だと云うと驚いていた」と云っていた。こちらもびっくりした。まさかアメリカで見ているとは思てなかった。全世界で見られていたんだと思うと感激した。
 用事で高島屋へ行き4階で買い物をしていたら見知らぬ50歳位の夫婦が私の方をチラチラ見る。気になりながらも1階の食料品売り場で買い物をしていると見知らぬ年配の夫婦が「今日NHKののど自慢に出ていました?」と声を掛けられた。「ハイ」と返事をすると「おめでとうございます。娘さんの事はお気の毒に」と云ってくれた。用事を済ませイトーヨーカドーへ行く。ここでも3人の知人に「優勝、おめでとう!」と声を掛けられた。
 携帯に兄から電話があった。「おめでとう、よかったなあ。正も知っている鈴木さんも見てたと云って電話があったで」「ありがとう、それはそうと出来はどうやった?出場者の一人に『上手に唄うよりも感情を入れる方が重要なのね』と云われたんやけど、身内のひいき目を除いて云うて」「他の人達は普通の素人よりは遥かに上手やという感じやけど、正のはセミプロという感じで声量に違いがあったわ」。ありがたい言葉だけどまだ自分自身で納得していない。でも、現実の結果だから素直に喜ぼう。これからは誰にも文句を云われない様に、自分でも納得できる様に磨けばいい、と自分にいい聞かせた。
 近くの居酒屋へ行き夕食を摂る。妻が改めて「おめでとうと」と云ってくれ、乾杯をした。
※憔悴(しょうすい)=心配や疲労・病気のためにやつれること。

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