エッセイ:essay
(cici)
hitomiとの思い出話を送って下さい
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心の“Jupiter”いつまでも 07/3/27
 「天国の娘に、お父さんは頑張ってるでというところをみせたいと思い唄いました」。
 NHKのど自慢堺大会で57歳の私が“Jupiter”を唄ってチャンピオンに選ばれた時の感想で、私は目に
涙を浮かべ上ずりそうになる声をこらえながらそう応えた。
 娘が25歳で急逝してから一年半経った頃、娘の友達にいつまでも覚えていて欲しいと開いていたホーム
ページは時の経過と共に訪れる人が疎(マバ)らになり、私は焦りを感じていた。
 何か手を打たなければと思っていた矢先、一昨年12月に堺市広報で「NHKのど自慢」の出場者募集記
事を目にした。「これや!」出場すれば絶好のネタになると感じた。
 さて選曲は?出るからにはトップを目指したい。得意の歌謡曲なら多少は自信がある。
 しかし待てよ。娘の好きな曲を唄った方が娘が喜ぶし友達にも伝わる。う〜ん・・・。選曲は応募締切り日
のギリギリまで迷った。
 “Jupiter”は娘の好きな曲と知ってから耳にすると心の奥に響く様になった。だが苦手なジャンルなので
唄った事がない。
 色々考えているうちに順位も大切だが天国の孤独な娘に聞いて欲しい!娘に喜んでもらえる様に頑張
ろう!と思う様になり畑違いの曲にあえて挑戦する事にした。
 また得意な曲よりも苦手な曲の方が努力のし甲斐があるし、その課程がドラマになるのでホームページ
の材料に適すると考えた。
 昨年の1月、応募紙を投函した日からドラマは始まった。知人に貰った平原綾香のCDを聞く。彼女の曲
は数ヵ所が二重奏になっていて上で唄うのか下で唄うのか分からない。それに音域が凄く広い。たまたま
見たテレビで合唱団がこの曲を唄っていた。タイトル通りに神秘的な宇宙をイメージさせ、女性の美しい澄
んだ声がマッチしていた。女性向の曲だ。私には到底マネは出来ない。自分のスタイルでいこう!と開き
直った。
 練習はカラオケで。そして音域をカバーする為に高音と低音の限界まで発声訓練をした。「アー、アー」と
声が裏返るまで発する。「ウー、ウー」と低く喉を響かせて唸(ウナ)る。妻が驚くと思ったので彼女が入浴中
にした。
 初めて人前で唄った時は「へたくそやな」と云われた。後日、別の人に聞かせたら「もう一つや」と反応が
悪かった。妻にいたっては「アンタにはむいてへん、やめとき!」。
 けなされると燃えるタチ。予選までの一ヶ月間、試行錯誤の末にどうにかモノにした。
 寝不足と苦手曲での挑戦で自信は無かったが、この努力が娘に伝わればいいとの思いを込めて予選に
出場。みんなが自信を持って唄っている様に見えた。私はカラオケと違う伴奏に戸惑ったがなんとか予選
を通過した。
 本選はレベルが高く優勝は無理と思っていたが、運良くチャンピオンの楯を貰った。
 娘が私にくれた大切な曲、自分の為、娘の為にいつまでも唄い続けようと心に誓った。
リアルストリートのRSPに涙 06/12/2
 今日の昼、たまたま見たテレビで思わず瞼(マブタ)をウルウルさせてしまった。鬼の目にも涙?
 昼に見たのは、今夜から読売テレビで放送される『リアル・ストリート』の出演者・RSPの結成からドラマ制
作、クランクアップまでのドキュメントである。
 RSPはソニー・ミュージックエンタテインメントと読売テレビの共催による『HIPHOP・R&Bダンスユニット』を
結成してデビューさせるオーディション・プロジェクト『REAL STREET PROJECT』で5,000組を超える候補者
から選んでメンバーを決定、「関西発信の最強ヒップホップ・R&B・ダンスユニット」として2006年12月にデビ
ューした。
 RSPは6人の若い男女のストリート・ダンス&ボーカルのユニットだが、その中に娘に似た女の子がいた。
 いでたちは娘とそっくり!白いふんわか帽子にロングヘア、華奢(キャシャ)な体にカーキ色のベストにGパン
姿。そして唄いながらヒップホップを踊る光景を見ると「私、ダンスを極めて有名になりたいねん」と云ってい
た娘と重なり、滅多に涙を見せない私が不覚にも泣いてしまった。
 生きている時に父親として手助けをしてあげればよかったとの自責の念と、娘との瞼の中での再会に心が
揺さぶられ、年甲斐もなくボロボロと涙をこぼした。
通知書 06/9/1
娘が他界してから2年にもなるというのに、娘宛の郵便物が届いた。
ふと、この世に存在している様な錯覚にとらわれ、心をときめかせた。
差出人は「大阪府公安委員会」
まさか、駐禁の出頭命令書?以前に何枚か送られてきたから…。
よく見ると『運転免許証更新通知書』だった。
引き出しに娘の免許証があるのを思い出し、出して見た。
溌剌(ハツラツ)とした顔の写真を見ると懐かしくなり、ジーンと熱くなってきた。
もし生きていたら3回目の切り替え。運転も上手くなっているだろうな。
タバコ片手にカーステを聞きながら颯爽としたドライビングが目に浮かぶ。
そういえば免許の受験の前、近所の駐車場で運転を教えた事があった。
車庫入れ、縦列駐車が難しいからと、コツを伝授して何度も練習した。
バックには慣れていないので四苦八苦していたのを思い出す。
免許証を貰った時、私も妻も娘もみんなで喜んで祝福したね。
免許取立ての頃は、私を助手席に乗せて練習がてらに街を走った。
「左折する時はバックミラーで左後ろをバイクや自転車がいるか確認しーや」
「早めにウインカー出しや」「ゆっくり走りや」「もうちょっと真ん中を走りや」
「ここは一旦停止やで」「左右よう見ーや」
横で緊張しながら、あれやこれやと、うるさいくらいアドバイスをした。
車をぶつけられたとか、ぶつけたとかという事もあった。
いつもギリギリに家を出て、急ぐあまり車を飛ばす悪いクセは私似だ。
「事故をしたら人生を台無しにするから、余裕を持って家を出るように」
自分の事を棚に上げて忠告した事もあった。
あれもこれも、今となってはみんな懐かしい。
ありがとう 06/5/1
 一昨年の夏、娘が亡くなってから悲しみと喪失の日々が続きました。しかしいつまでも悲しんでいては娘
が浮かばれません。「そうや、娘と友人をつなぐHPを作ろう」と一念発起しました。
 ずっとHPを見てもらう為には常に更新をしなくてはいけない。その為にと経験の無かったエッセーや詞を
書くようになりました。詩を書いているうちにメロディーを乗せてみようと思う様になり作曲の勉強をやり始
めました。
 今年の2月、話題作りの一環にNHKののど自慢に出ました。幸運にもチャンピオンになり、テレビを見て
いた多くの知人から「次は全国大会やで、頑張ってや」と応援のメッセージを沢山頂きました。自分の得意
な曲ではなく娘の好きな曲だったので、皆の期待に応えるため一層の努力をしています。
 もし、運良く全国大会にでも出る様になったら娘のポートレートを書いた応援プラカードを作ろうと思いつき、
似顔絵とパステル画にもチャレンジしています。
 娘のためにと次々に課題が浮かび上がり、今は悲しんでいる暇はありません。(本当はほっと一息ついた
時に娘の事を思い出すが…)
今まで何事においても中途半端だった私が色々な習い事に一生懸命する様になりました。また色々なアイ
デアが湧いてきたり、観察力、積極性、向上心がついたりと自分自身がひと回りもふた回りも大きくなった様
に思います。これも娘のお陰と、毎日仏壇に手を合わせ「ありがとう」と感謝しています。



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