エッセイ:essay
(cici)
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熟年ラブレター (12/1/15)
 明後日は妻の誕生日だ。私は5年ほど妻の誕生日を忘れては後でとがめられていたので「今年こそは何かで妻を驚かせたろ!」と思った。
 私は生まれてこのかたラブレターを書いた事が無かったが、長引く病に気が塞ぎ気味の妻を励ますためにに無い知恵を絞ってラブレターを書くことにした。
 『誕生日、おめでとう!
 君と出会って30数年になるね。
 当初の甘い生活も年月と共に薄らいで、幾多の喜怒哀楽を味わった。
 価値観の違いから意見がぶつかり合うことが度々あった。
 特に7年前に瞳が肺の病気で亡くなった時は君に辛く当たった。
 加齢と共にお互いが頑固になり、衝突しては何度「別れてもええわ」と思ったことか。
 しかし俺が還暦の年に二度の手術入院をした時、君の献身的な看病に心が打たれた。
 そして去年、君が入院した時は我が家の灯りが消えて俺の心にポッカリと穴が開いた。
 その時に君の存在感を思い知らされ、夫婦の有難みが身に沁みて感じた。
 当たり前に考えていたいつもの食事、今、思い返せばあの薄味は俺の健康に配慮した献立だった。ありがとう。
 出会った頃の甘いハートはとうに消え去り、今さら照れくさくて「愛してる」とは言えないが、口ではうまく言えないが、闘病中の君を支えたい。
 これからも戦友として二人三脚で助け合い、心と手を繋ぎ、プラス思考で病と向き合えば必ず完治するので頑張ろう。そして、元気になったら一緒に旅行をしよう。
 愛する妻へ…』
 慣れない文言に少しお尻がこそばゆいけど、私達が末永く仲睦まじくすれば、あちらから瞳も喜んでくれると思う。
「天使の声」 12/1/1
先日、テレビで『東日本大震災特集・防災の日2011』を見た。
番組中での「大津波情報を何で知ったか?」のアンケートで、震災に強いと言われているラジオは21.6%で、半数の
49.5%が役場の防災無線で高台に避難をしたとか。
宮城県南三陸町の役場でその防災無線を担当していた遠藤未希さんが迫り来る大津波の中、ギリギリまで避難を訴
え続けて24歳の命と引きかえに多くの住民を助けた。
あの日、町中に響いた「ただいま津波が押し寄せています、皆さん急いで高台へ避難して下さい」の声に背中を押さ
れ一体どれくらいの人々が命を救われたことだろうか。
南三陸町では「天使の声」と称賛され、人々は彼女の声を一生忘れる事は無いだろう。
私は25歳の娘を失くしてから自暴自棄になり夫婦仲が険悪になったり不景気の煽りを受け仕事で落ち込む事があっ
たが「私を悲しませないで」「頑張って」の声が胸に響き何度か苦境を乗り越える事が出来た。瞳は亡くなってしまっ
たが、その「天使の声」はずっと心の中に生きていて、その声によって私達夫婦は生かされている。
ネットワーク・ビジネス 11/12/15
先日、知り合いから新規に立ち上げたネットワーク・ビジネスの誘いを受けた。
ネットワーク・ビジネスは「立ち上げ時に登録した人が得」という印象が強く、実際そういう部分で儲けた人もいるのは
確かだ。
若い頃なら参加していたかもしれないが、「7年前に娘を亡くしてから“お金を残したい”という意欲は萎えてしまった」と
断った。
私は若い頃、夢を掴む為にとか娘に財産を残してやりたいとの思いで、副業で化粧品の通販やカラオケボックスを経
営したり様々なネットワーク・ビジネスに手を染めた事があった。
しかし本業のスナックは朝まで営業していたので二股には無理があり、副業はことごとく不発に終わった。
特に営業でヒトにモノを勧めるのが苦手な私は、ネットワーク・ビジネスは何度も加入しては失敗を繰り返した。
頼まれると断れない性格の私だが、今回は娘の「ゆっくりしーや」との声が聞こえたので抵抗なく断る事が出来た。
父親気分 11/8/15
日曜日の昼、娘の親友から「そちらに寄せていただきます」と電話があった。女の子は地理に疎いので「無事に着くか
なあ」と気をもみながら到着を待った。
案の定、「○○まで来たんですが、ここから道がわかりません」との電話。私は説明をしてから家の外に出て彼女たち
の車が来るのを待った。
毎年お盆になると娘の親友がお参りに来てくれる。昨日来た彼女たちは3年ぶりで、久しぶりに見る顔に気分がほこ
ろんだ。
仏壇に手を合わせた後、世間話やお互いの近況を話したり娘との昔話に花を咲かせた。
私は持ち前のサービス精神で笑いを振って労をねぎらいつつ、心の奥で娘とダブらせて親子ごっこのふれあいを味わ
った。
娘のいない私は内心、父親の気分にひたりながら彼女たちとの歓談を愉しんだ
彼女達はいつまでも娘を思ってくれ、こうして尋ねてくれる。本当に有難いことである。
インセンス(お香) 11/7/1
私は店に入るといつもお香を焚いている。だから早い時間の店内はお香の怪しげな煙と共に馥郁(フクイク)たる香り
が漂っている。
昔はこの様な趣味はなかったのだが、7年前に瞳が亡くなり部屋を片付けていた時にインセンスを見つけ、それか
ら始めた。
それはエキゾチックな箱に入ったスパーク花火のような細長いお香で、驚くくらい沢山の束だった。
そして「瞳はこんなんを愛好してたのか。イイセンスしてる」と感心したものだった。
箱の中からインセンスを一本取り出して火をつけてみると、甘くて優しい香りが私を包み気分が安らいだ。
それは心からリラックスできるアロマテラピー用の芳(カグワ)しい香りのインセンスだった。
それ以来、欠かすことなくずっと店でインセンスを焚いている。時々お客さんに「ええ匂いや」と喜ばれている。
私はインセンスに火をつける時はいつも瞳の顔を思い浮かべる。生まれた時から今際の際(イマワノキワ)までの瞳の
顔を。
瞳が残したインセンスは既に使い果たして無くなったが、今はそれに似たインセンスを買い足しては焚いている。
インセンスは数種類あるが、私は草原のさわやかな香りをほのかに届けてくれるラベンダーが好きだ。しかし夏場
はモスキート・インセンスがいい。アロマの香りに包まれながら虫除けができるので夏を快適に過ごせる。
今日も女性のお客さんが「ええ匂いやね。私、この香りが好き」と気に入ってくれた。
いつも心の中で「いいモノを教えてくれて有難う」と瞳に感謝している。
思い出の品 11/6/1
 先日、新聞で「仙台市は東日本大震災の津波で流されて持ち主不明となった写真や位牌など、被災者の思い出
の品々の洗浄作業に、震災の影響で勤務先を解雇されるなどして職を失った人たちを臨時職員として採用した」と
の記事を目にした。
 私は津波で失職した人達の再出発の手助けになり喜ばしく思い、また被災した人達がキレイになった思い出の品
を手にして喜ぶ姿が目に浮かんだ。
 それと同時に、東南海地震が囁かれていて大阪も被災に遭うと言われている昨今、自分はイザという時に何を持
ち出せばよいかを考えた。
 瞳が夭逝してから8年近くもなり整理した部屋には大半の品は残っていないが、それでも瞳の好きだったCDや
DVD、雑誌、卒業アルバム、コンポ等がある。
 あらためてホコリをかぶった思い出の品々を一つひとつ手にとっては、忘れかけていた遠い記憶を蘇らせて目を
潤ませた。
 震災が起きた時には思い出の品々全てを持っていきたいが、避難ともなればそういうわけにはいかない。コンパ
クトにまとめなければならない。
 イザという時にはやはり瞳の思い出がいっぱい詰まったアルバム、瞳の位牌と遺影、瞳が大事にしていた小さな
オルゴール、そして私が描いた瞳の似顔絵を持っていこう。
 あ、そうそう、瞳が遺した帽子が少しあるが、その中のタイガースの帽子を被って避難しよう。
震災とJupiter 11/4/1
 「今、震災復興支援曲でジュピターが秘かに流行ってるで」とお客さんが言い、そして私に“Jupiter”を歌ってとリク
エストした。
 この曲は瞳の好きだった曲で、5年前に開催されたNHKのど自慢・堺大会で、私が瞳への想いを込めて歌い優勝
をした曲である。
 それを知ったあるジャーナリストから「スピリチュアルに関して本を出すので、それにアナタの記事を…」と電話が
あり、私と“Jupiter”について掲載されたことがあった。
 その本の一部には「平原綾香の“Jupiter”が新潟中越地震の時に被災者を勇気づける応援歌として、新潟県内
のラジオ局で多くリクエストされた」とも書いていた。
 新潟中越地震でこの曲に救われたという人が多かったそうだが、今回の東日本大震災でもこの曲が注目されて
いるようだ。

 ♪Every day I listen to my heart ひとりじゃない
  深い胸の奥で つながってる
  果てしない時を越えて 輝く星が
  出会えた奇跡 教えてくれる
  Every day I listen to my heart ひとりじゃない
  この宇宙の御胸(ミムネ)に 抱(イダ)かれて

  私のこの両手で 何ができるの?
  痛みに触れさせて そっと目を閉じて
  夢を失うよりも 悲しいことは
  自分を信じてあげられないこと
  愛を学ぶために 孤独があるなら
  意味のないことなど 起こりはしない

  心の静寂(シジマ)に 耳を澄まして
  私を呼んだなら どこへでも行くわ
  あなたのその涙 私のものに

  今は自分を uh-- 抱きしめて
  命のぬくもり 感じて
  uh-- 私たちは誰も ひとりじゃない
  ありのままでずっと 愛されてる
  望むように生きて 輝く未来を
  いつまでも歌うわ あなたのために

 私は天国にいる娘と共に今回の地震で犠牲になられた方を悼みながら、リクエストに応えて“Jupiter”を歌った。
目を瞑り、情景を脳裏に描きながら心をこめて歌えば、胸の奥から熱いものがジワーッと込み上げてきた。
 歌い終わった時には哀惜の念と共になんとも言えない充実感を覚えた。お客さんは「久振りに感動したわ。ありが
とう」と礼を言った。
 震災で亡くなられた方々のご冥福を祈ります。また被災者の一日でも早い復興を心からお祈り致します。
  11/4/1
 関西では3月中旬の『お水取り』が終わると温かくなり、待ち焦がれた春が訪れると言われているが、今年は『お水
取り』が終わる直前の14日に20℃まで気温が上がった。
 一足早い春の到来に人一倍寒がりの私は喜んだが、何のことはない、行事が終わった途端に寒さがぶり返した。
そんな寒い中、私と妻はお彼岸に瞳の墓参りに行った。
 出かける前は朝からの雨で、このまま降り続けば明日にしようと思っていたが、自宅を出た時には運良く雨が上が
りお墓のあるお寺に行った。
 ところが、瞳のお墓前には一対の綺麗な花が添えられていて、火のついた線香もまだ残り煙が揺れていた。
 「誰かお参りに来てたんやなあ」「ほんの今さっきまで居てたんや、誰やろなあ」と妻と目を合わせた。
 私は「瞳はまだ色んな人に気にかけられているんや。有難いことや」としみじみ思った。
 丹念に墓石を洗ってから私達が持参した墓花も一緒に飾り、線香、ロウソクに点火。瞳と先祖の冥福を祈ると共に
近況を報告し、無事に生きられる命に感謝し、私に関わる人達の幸せを祈った。
 そして、お参りを済ませた後、車に乗ると同時に大粒の雨が降り始めた。
 妻が「上手い事、雨に濡れずに済んだなあ。瞳が見守ってくれたんやねえ」と話した。
 その日は久しぶりに瞳との魂のつながりを身近に感じた。
留守番電話 11/3/15
 自宅の電話のディスプレーを見ると留守番電話のメモリーが17件も溜まっていた。
 いつもは留守番電話を再生する度に消去しているのだが、時々消し忘れてメッセージが徐々に溜まっていたのだ。
 一度、全てのメモリーをクリアにしようと一件づつ記録用件を再生をしては消去していった。
 そして最後の17件目のメッセージを再生。
 「あ~、もしもし~、わたし~…」
 あぁ、懐かしい声だ。七年前に亡くなった娘の声がスピーカーから流れジーンと胸に響いた。
 一緒に聞いていた妻に「これ瞳の声やで、残ってたんやなあ」とポツリと漏らすと「あんた、これは消したらアカンで」
と言った。
 メッセージの後の言葉がうまく聞き取れなかったので、もう一度再生ボタンを押したら、そこで私は目が覚めた。
 その日は起きてからもずっと声が耳の奥に残っていて、切ない思いが私の心を一日中支配した。
犬鳴山  11/2/15
瞳の親友が新城市にある愛知県最大の滝『百閒滝』へ行ったブログを書いていた。
険しい山道や森の中の階段を上り下りして歩いた苦労話や、雄大な滝に出逢えて感動した話を読んでいると、
同じ様な光景が頭に浮かんだ。
私も若い時に妻や瞳と一緒に、1時間半ほど車を飛ばして泉州の霊峰・犬鳴山の『行者の滝』へ何度か行った
事がある。
渓谷の美しい犬鳴山には七つの滝と七宝滝寺と修験者の行場がある。車から降りて不動谷に沿って山道を
登っていると時折、鐘の音がゴーンと響いてくる。
足元の悪い山道や岩場を苦労して登り『行者の滝』に辿り着くと、奥深い緑の中の澄んだ空気、冷たい空気、
水しぶきで発生するマイナスイオンに疲れた心を癒された。
ただ小学生だった瞳にとってはパワースポットの体感は分からず、険しい山道のしんどさだけが残って迷惑だ
ったかも知れない。
だが妻が作った弁当を広げて食べた時は、目を輝かせて美味しそうにおにぎりを頬ばって素直に喜んでいた。



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