エッセイ:essay
(cici)
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オリンピック 12/8/1
 今、ロンドンでは世界のトップアスリートがハイレベルな熱戦を繰り広げている。毎日、テレビにくぎ付けで日本選手の奮闘に手に汗を握りながら応援している。
 ただオリンピックは嬉しいのだが、お店としてはその影響でどこも暇で泣いてるらしい。それに加えて水商売にとっては2月と8月は二八(ニッパチ)と言って他の月と比べて売上げが落ちる。私の店も御多分に洩れず暇だが、その分、一喜一憂しながらもテレビ観戦を楽しんで心の夏休みを過ごしている。
 そう言えば8年前の8月1日、愛娘の瞳がこの世を去り私達夫婦が深い悲しみに打ちひしがれ、妻が「娘の所へ行こう」と泣きながら訴える日々が続いた。
 そんな折、8月13日からアテネ・オリンピックが開催され、日本人選手の奮闘ぶりに心が癒やされ、そして生きる元気をもらったことがあった。
 この時、日本は金16個、銀9個、銅12個で総獲得数が37個。金メダルの数では世界5番目で、日本が一大会で獲得した総メダル数としては史上最多の好成績を残した。
 さて、ロンドンでは?
救急車 12/5/15
 先日、妻と鳳のスーパーへ行き一通りの買い物を終えレジをしている時に「ちょっと気分が悪いわ、トイレに行って来るわ」と妻がその場を離れた。
 その直後に後方でゴンという音が聞こえたので振り向くと3、4m先に数人の人だかりが見えた。なんとなく不安がよぎり傍に行くと妻がフロアに半眼で仰向けで倒れていた。
 妻は3つの病気で7カ月にも及ぶ通院治療をしているので時々具合が悪くなる事があるが、まさかこんな所で倒れるとは思わず、一瞬、私は動転したがすぐに落ち着きを取り戻し群衆の輪の中へ割り込んで声をかけた。
 「大丈夫か!」と言いながら手の平を目の前にかざすも反応が無かった。暫くしてから妻はうつろに目を開けて状況が読めず何事が起きたのかというような顔をした。気を失った時間は3分程だったが様々な思いが脳裏をめぐりかなり長く感じた。
妻は頭を強く打った様で立ち上がれず、15分程動かさずにそっとした後に店員が用意した車椅子で店の奥の救急室に運ばれた。
 頭を強打したので病院に行く事になり妻は担架で救急車に乗せられ、私も同乗して後部の補助席に座った。車内では問診をされ、別の救急隊員は受け入れ先の病院の問い合わせをした。
 妻は「あの病院だけは行きたくない」と漏らした。あの病院とは瞳が救急車で運ばれ約1カ月後に息を引き取った病院だ。瞳を助けてくれなかったので妻には悪いイメージがあるらしい。
 私は嘔吐したり脳挫傷になるのではと不安がる妻の手を握り励ました。妻の手を握るのは何年振りだろうか。冷たい手だがジワーッと心に温かいものを感じた。そして闘病中の瞳のベッドの脇に座り、瞳のか細い手を握りしめ回復を祈っていた自分の姿がダブった。
 受け入れ先は妻が現在通っている労災病院になったので、私は救急車を降りて乗ってきた車で後を追いかける事になった。
 7年前、瞳が救急車で運ばれて、私が車で後を追いかけた時の事をオーバーラップさせながら複雑な思いでハンドルを握った。
居酒屋デビユー 12/5/1
 「息子が二十歳(ハタチ)になったら一緒にお酒を飲むのが夢」と、世間の父親たちの言葉をよく耳にする。私は娘だけだが父親の思いはみんな一緒で、瞳が二十歳になったある日、自宅近くの居酒屋に連れて行った事がある。
 私は生ビール、妻はウーロン茶、瞳はチューハイを注文して、娘の居酒屋デビユーを乾杯した。しかし、お酒は二十歳になる前から友達と飲んでいたみたいで、居酒屋デビユーはとおに済んでいた。
 まあ、私も中学生の頃にボチボチお酒を飲み始め、居酒屋デビューは高校生だった。これは血筋なので何も言えない。
 飲食をしながら瞳の近況を聞いたり、とりとめもない話をして、久しぶりに娘とのコミュニケーションを図った。 店のメニューは豊富なのに鳥の空揚げが大好きな瞳は、そればかり何回かお代りをしたのを覚えている。「鳥を沢山食べて羽ばたいてくれ」といつもの調子で口から出かかったが、ここは父親の威厳を保つ為に軽口はビールと一緒にグイッと呑み込んだ。
 夜風が爽やかな帰り道、少しほろ酔い気分の娘は腕を組んで歩いてくれた。親子三人で手を繋いで歩くのは瞳が小学校低学年以来でジーンと胸が熱くなった。
 だが、腕を組んで歩いたのはその時だけで、もう一つの夢、娘と腕を組みヴァージンロードを歩くのは果たすことは出来なかった。
ギャラ 12/2/15
 一昨日、TV東京『所さんの学校では教えてくれない,そ?こんトコロ!』のスタッフと漫才師のザブングル・松尾君が私のスナック芸を収録しに来た。
 昨年末の「ナンジャコレ珍百景」出演、1月の韓国テレビ局KBSの収録、そして今月の収録と、テレビ出演が続いている。妻は恥かしいからと毎回出演依頼を断るように言うが、私は店が暇やから宣伝になるとオファーを受けた。
 店は年々景気が悪くなり赤字が続いている。その上に妻が複数の大きな病気をかかえ闘病中で4カ月以上も店を休んでいる。
 色気が求められる夜のスナックでおっさん一人では尚更お客さんの足が遠のく。毎日「今日はお客さんが来るかなあ」と不安な気持ちで店に出る。
 なんとか他店にないモノで引きつけようとスナック芸を磨くがあまり活きていない。そんな中でのテレビ出演依頼なので断るわけにはいかない。
 そして収録をしたわけだが、今までこの手の出演はノーギャラだったのに今回初めてギャラを頂いた。店が暇な折、大いに助かった。
帰宅後、ギャラを仏壇に供え、「瞳のお陰や、ありがとう」と感謝の気持ちを伝えた。
※尚、放送予定日は3月2日夜9時(関西はテレビ大阪)
新境地 12/2/1
 1月27〜29日、私のスナック芸の中のバランス芸を収録をしに韓国のテレビ局KBSのスタッフが来た。
 初日は今迄のバランス芸を収録したが、2日目は韓国で有名なバランス芸の達人のビデオを見せて、私に同じ事をするように依頼した。
 私は円筒形しかした事が無く方法も全く違うので無理だと断るも押し切られて受諾した。レベルが高いバランス芸だったが意識を集中させてなんとか成功させた。
 私のはカウンターでするスナック芸で今まで店の外でした事がなかったが3日目は路上、遊歩道のベンチ、レストランのテーブル、公園のグラウンドと、これまた経験の無い事を要求された。
 特に路上でする消火器は底の形状がバランス芸に不向きなので「絶対に不可能や」と断るも「韓国の達人は?」と、私の闘争心をかき立てたので「それでは」とやむなく受けた。
 この3日間は店外デビュー、海外デビュー、不可能だと思っていた事を可能にしたなど新境地を切り開けた密度の濃い収録だったが、これはきっと瞳が応援してくれているから出来たと思う。


※私の持ちネタの一部


※韓国の達人に挑戦して出来ました


※路上で消火器を…


※公園のグラウンドでテレビ番組名をウーロン缶を斜めに立てて表現



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